削除された内容 追加された内容
Amagiri (会話 | 投稿記録)
編集の要約なし
HIDECCHI001 (会話 | 投稿記録)
58行目:
[[2006年]]([[平成]]18年)に同センター[[図書室]]がリニューアルオープンした際には、その功績を記念して「[[三笠宮記念図書館]]」と命名された。[[1991年]](平成3年)にはフランスの「碑文・文芸アカデミー」の外国人会員に就任、また[[1994年]](平成6年)6月には[[ロンドン大学]][[東洋アフリカ研究学院]]の名誉会員に就任した。
 
[[1950年代]]後半から『[[紀元節]]』([[神武天皇即位紀元]]に基づき、初代・[[神武天皇]]が即位したとされる西暦[[紀元前660年]][[2月11日]]を「日本建国の日」とする)の復活への動きが具体的なものになってくると、[[考古学]]者・[[歴史学]]者としての立場から『[[神武天皇]]の即位は[[日本神話|神話]]であり史実ではない』として、「神話」と「史実」は切り離して研究されるべきと強く批判し、一般の国民(平民)ならまだしも、よりにもよって自身の[[祖先]]に関わる単なる一皇族としてだけでなく天皇の弟宮という皇室の中でもとりわけ身分の高い立場にありながら、積極的に「紀元節復活反対」の論陣を張った。編著『日本のあけぼの』は、このときに刊行されたものである。このため「'''[[共産主義|赤い]]宮様'''」ともてはやされた。
 
一方で、復活を推進する人々は三笠宮を激しく非難し、なかでも[[里見岸雄]]や[[野依秀市]]は、三笠宮を「無責任」「非常識」「左翼」と罵倒し、皇族の身分を離れることを要求する著作を公表している。右翼団体の構成員が宮邸に押しかけて、面会を強要した事件も起きている<ref>{{Cite book |和書 |author=[[小田部雄次]] |title=皇族 天皇家の近現代史 |publisher=[[中央公論新社]] |series=中公新書 |page={{要ページ番号|date=2016年10月}} |date=2009 |isbn=978-4-12-102011-6}}</ref>。結果的には、『紀元節』という元来の呼称は使用されなくなったものの、[[国民の祝日]]の一つとして、「[[2月11日]]を[[建国記念の日]]とする」ということが制定された。