「ノート:ヨーロッパにおける政教分離の歴史」の版間の差分
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ウィキペディアは百科事典的な参照資料であって、教科書ではありません。ウィキペディアの目的は事実の提示であって、主題について教えることではありません。}}
「政教分離における歴史学的視座」をいきなり持ってこられたことで、完全に「歴史学的視座」について教えるぞという内容になってしまってますよね。そうではなくて、このような学説がある、と学説を紹介(事実の提示)するのが、Wikipediaなんですよ。独自研究という概念を独自に解釈されているためだと思いますが、百科事典ではなく、教科書か学術レポートの一種になってしまってますよね。歴史学の課題レポートとして、この内容を提出されたら及第点を取られるくらいに良く書けているとは思うんですけど、百科事典的とは到底言えないという、この違い、わかっていただけませんかね? 「政教分離における歴史学的視座」などについては、編集対応によって百科事典的にできればいいんでしょうが、2001:268:C068:D7DE:30BD:B412:7D0D:9527さんが、独自研究ではなく中立的な観点に書き直すことができるかどうかにかかってますね。このままであれば、ケースEで削除依頼提出とするしかないでしょう。[[Wikipedia:ウィキペディアは何ではないか]]も読まれてください。内容整理に関するコメントからズレてきてるみたいですが、まず、「政教分離原則関連は移動、出典なしは除去」をするだけで、わりとスリムになるんじゃないですかね。まずはじめに集中的に「政教分離原則関連は移動、出典なしは除去」を行うべき、ということについてコメントされてませんが、反対する理由はありませんでしょう?--[[利用者:ぽてから|ぽてから]]([[利用者‐会話:ぽてから|会話]]) 2017年3月5日 (日) 14:12 (UTC)
::「完全に『歴史学的視座』について教えるぞという内容になってしまってますよね。」というのは率直によくわかりません。現在の記事はどちらかというと学説の提示のスタイルをとっているように思われます(なにせ冒頭で歴史学的であると断っています)。この点については非常に表現感覚的な議論で、だから独自研究だというのはやはり方針文書に依拠しているとは思えません。そもそも学説について「教える」ことも提示することですし、そうした営みにおいて学説は十分相対化されているわけですから「教える」スタイル?だから中立的でないというのはいまいち理解できません。中立的な観点は意見を意見があるという事実として記すということを推奨しており、教える形というのが具体的でないのでいまいちわかりませんが(方針文書の教えるというのは独自研究を提示するという意味だと思われます。ウィキバーシティが独自研究の場だとされていることからもそれは明らかです)、通例「○○という学説に基づけば、××である」とか「○○という学説に基づいて××を記述する」というのは事実の提示として中立的な観点を満たしているように思われます。そしてこの記事はそうした事実を検証可能な、しかも学術的にも信頼性の高い文献で十分裏付けており、独自研究であるという主張はどうして成り立つのか全く説明されておりません。一方で出典うんぬんについてはそもそも私が議論と平行して記事の出典は確認しており、その点の脚注追加を求めていますが、いまだ議論で合意が出来ず(なぜこんなことも許してくれないのか謎です)、その感触から言えば本記事はかなり出典に忠実です。なので、作業としては出典の追加をおこなってから必要であれば分割を議論すべきと思われます。どちらにせよ記事内容の一部重複が一方の一方への統合につながるというような[[利用者:ぽてから|ぽてから]]さんの議論も方針文書に基づいておらず、ウィキペディアの現状とも異なるもの(宗教改革についての記述が宗教改革の記事だけにあるわけではない)ですから、いずれにせよどうしてそうなるのか私には全く理解できません(おそらくぽてからさんのいう重複は記事内容の競合をいうと思われる。この記事は宗教改革そのものを記述しているわけではなく、国家と教会の関係史の文脈で一面的に触れているに過ぎないので、宗教改革を別の言葉で置き換えて別記事にしているわけではなく、宗教改革記事と競合しているということにはならない)。--[[特別:投稿記録/2001:268:C068:D7DE:D982:AD98:2525:2849|2001:268:C068:D7DE:D982:AD98:2525:2849]] 2017年3月5日 (日) 14:32 (UTC)
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