「クルスクの戦い」の版間の差分
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| casualties2 = 戦死・戦傷・捕虜 607,737<BR />戦車 1,500<BR />航空機 1,000<BR />
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'''クルスクの戦い'''(クルスクのたたかい、{{lang-de|'''Schlacht bei Kursk'''}}<small>(''シュラハト・バイ・クルスク'')</small>、{{lang-ru|'''Курская битва'''}}<small>(''クールスカヤ・ビートヴァ'')</small>)は、[[第二次世界大戦]]、[[東部戦線]]([[独ソ戦]])中の[[1943年]]、[[ソビエト連邦]](以下ソ連)の都市である[[クルスク]]周辺をめぐり、[[ナチス・ドイツ]](以下ドイツ)軍とソ連軍(赤軍)との間で行われた戦闘の名称である。ドイツ軍の正式作戦名「'''ツィタデレ(城塞)作戦'''」({{lang-de|Unternehmen Zitadelle}})。ドイツ側約2,800輌、ソ連側約3,000輌の合計約6,000輌<ref name="引用1" />の戦車が戦闘に参加し、「史上最大の戦車戦」として知られるが近年の研究では否定されている。
{{Refnest|group="注"|参考として[[1973年]]の[[第四次中東戦争]]での最大の戦車戦となった[[10月14日の戦車戦]]における戦車の数はイスラエル側800輌、エジプト側1,000輌の計1,800輌である<ref>{{Cite book |和書 |author=高井三郎 |year=1982 |title=第四次中東戦争 シナイ正面の戦い |publisher=原書房 |page=143~144頁 |isbn=4-562-01138-6}}</ref>。なお投入された戦車の数だけで言うならば、[[1991年]]の[[湾岸戦争]]における多国籍軍3,550輌(うちアメリカ軍2,550輌)、イラク軍3,475輌の約7,000輌の方が上<ref>{{Cite book |和書 |author=河津幸英 |year=2011 |title=湾岸戦争大戦車戦(上) 史上最大にして最後の機甲戦 |publisher=イカロス出版 |page=12頁 |isbn=978-4-86320-416-4}}</ref>。}}。'''クルスク戦車戦'''、'''クルスク会戦'''とも呼称される。
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