* [[オリックス・バファローズ]] (2008 - )
}}
'''伊藤 光'''(いとう ひかる、[[1989年]][[4月23日]] - )は、[[オリックス・バファローズ愛知県]]に所属する[[岡崎市]]出身の[[プロ野球選手]]([[捕手]]、[[内野手]])。[[オリックス・バファローズ]]所属。
{{by|2015年}}からオリックスの選手会長を務めている<ref name="sponichi20141128">{{Cite web|url= http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2014/11/28/kiji/K20141128009367500.html|title=オリックス選手会長、坂口から伊藤に交代|publisher=スポーツニッポン |accessdate=2015-01-12}}</ref>。
== 来歴・人物 ==
=== プロ入り前 ===
[[愛知県]][[岡崎市]]出身。[[岡崎市立藤川小学校]]時代に「岡崎[[リトルリーグ]]」で[[投手]]兼[[内野手]]として[[野球]]を始める。[[岡崎市立東海中学校]]では[[ボーイズリーグ]]「東名古屋スターズ」で捕手を務めた<ref>{{Cite news
|url=http://www.763.fm/2008tokai/080110.html
|title=夢を実現 プロ野球へ 伊藤さん(東海中出身)が活躍誓う
[[File:OB-Hikaru-Ito.jpg|thumb|left|200px|2008年7月2日、舞洲ベースボールスタジアムにて]]
'''{{by|2008年}}'''
:[[ウエスタン・リーグ]]公式戦で、捕手登録選手としてはチーム最多の43試合に出場した。40試合でマスクを被ったが、チーム最多の[[捕逸]]を記録した。また、[[打率]]は.192で、[[三振]]数(24)が[[打席]]数(94)の4分の1以上に達した。ウエスタン・リーグ公式戦では本塁打を放てなかったが、[[イースタン・リーグ]]とのファーム交流戦では2本塁打をマーク。[[9月13日]]の対[[北海道日本ハムファイターズ]]戦([[札幌ドーム]])で、捕手として一軍デビューを果たした。
'''{{by|2009年}}'''
'''{{by|2011年}}'''
:一軍監督の[[岡田彰布]]監督から「将来の正捕手候補」として期待された<ref>{{Cite news |url=http://www.nikkansports.com/baseball/news/p-bb-tp0-20101117-703223.html |title=オリ3年目伊藤が正妻候補!岡田監督期待 |newspaper=nikkansports.com |publisher=日刊スポーツ新聞社 |date=2010年11月17日}}</ref>ことを背景に、公式戦の開幕を初めて一軍で迎えた。[[福岡ソフトバンクホークス]]との開幕戦([[4月12日]]・[[京セラドーム大阪]])でスタメンマスクを任されると、以降の試合でも、[[寺原隼人]]による一軍公式戦3年半振りの完封勝利や[[西勇輝]]による一軍公式戦初勝利に貢献した。夏場以降は、エースの[[金子千尋]]とバッテリーを組むなど、先発捕手としての出場機会を増やした。
:その一方で、シーズン中には、成績不振などで2度にわたって二軍調整を経験している<ref>{{Cite news |url=http://www.sanspo.com/baseball/news/110520/bsk1105200504000-n1.htm| |title=オリックス・伊藤、1軍昇格で再起! |newspaper=SANSPO.COM |publisher=産経デジタル |date=2011-05-20 |archiveurl=http://web.archive.org/web/20110523212813/http://www.sanspo.com/baseball/news/110520/bsk1105200504000-n1.htm |archivedate=2011年5月23日}}</ref>。9月11日の対[[埼玉西武ライオンズ]]戦([[ほっともっとフィールド神戸]])では、守備中に[[中村剛也]]とのクロスプレーで右手人差し指を負傷。しその後の精密検査で骨折が判明した<ref>{{Cite news |url=http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2011/09/13/kiji/K20110913001612240.html |title=オリックス・伊藤右手人さし指骨折 正捕手不在|newspaper=スポニチ Sponichi Annex |publisher=スポーツニッポン新聞社 |date=2011年9月13日|accessdate=2016年8月7日}}</ref>ため、残り試合を棒に振った。
:結局、一軍公式戦には66試合に出場した。打撃面では打率.156、57三振にとどまったが、規定試合数不足ながらチームトップの盗塁阻止率(.318)を記録するなど、試合の随所で強肩を発揮した。また、シーズン終了後には、背番号を22に変更することが発表された。
'''{{by|2012年}}'''
:一軍公式戦では、前年に続いて開幕戦のスタメンマスクを任されると、[[鈴木郁洋]]・[[斉藤俊雄]]などの先輩捕手と交互に出場した。しかし、[[4月12日]]の対[[千葉ロッテマリーンズ]]戦([[QVCマリンフィールド]])7回表の守備中に、[[ジョシュ・ホワイトセル]]の振ったバットが伊藤の右側頭部を直撃した。伊藤はグラウンド上に倒れ込んだため、担架で病院に運ばれた<ref>{{Cite news |url=http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2012/04/12/kiji/K20120412003034120.html |title=ホワイトセルの振ったバットが頭に…伊藤、負傷退場 |newspaper=スポニチ Sponichi Annex |publisher=スポーツニッポン新聞社 |date=2012年4月12日 |archiveurl=http://web.archive.org/web/20120413161635/http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2012/04/12/kiji/K20120412003034120.html |archivedate=2012年4月13日}}</ref>。病院での診察で打撲と診断されたため、すぐに実戦へ復帰したが、攻守に精彩を欠いたことから同月末に二軍へ降格した。
:[[セ・パ交流戦]]の期間中に一軍へ復帰してからは、公式戦でのスタメン出場の機会を増やした。しかしだが、8月19日の対ソフトバンク戦(京セラドーム大阪)で投手陣が8回表までに5失点を喫したことから、リード面の課題を克服すべく9月下旬まで再び二軍で調整。一軍でのシーズン最終戦であった[[10月8日]]の同カード([[福岡Yahoo!JAPANドーム]])では、捕手として西の[[ノーヒットノーラン]]達成に貢献した。
:一軍公式戦通算では、前年と同じく66試合に出場。課題の打撃面でも、打率を.205に上げるなど改善が見られた。なお、シーズン終了後には、オリックス選手会の副会長に就任した。
'''{{by|2013年}}'''
'''{{by|2014年}}'''
:前年と同じく一軍公式戦137試合に出場したが、FA権の行使によってソフトバンクから移籍した[[山崎勝己]]と併用された影響で、規定打席に到達できなかった。それでも、投手陣によるリーグトップの防御率達成に守備面で貢献したことから、[[ベストナイン (日本プロ野球)|ベストナイン]]・[[ゴールデングラブ賞]]・[[最優秀バッテリー賞]]を受賞。打撃面では、打率が前年を下回った一方で、前年を上回る48打点を挙げた。また、シーズン終了後の11月に開かれた[[日米野球2014]]には、日本代表の一員として出場<ref>[http://www.japan-baseball.jp/jp/team/topteam/2014/nichibei/20141009.html 2014年10月9日 侍ジャパン「2014 SUZUKI 日米野球」出場選手発表!] 侍ジャパン公式サイト (2014年10月9日) 2015年3月26日閲覧</ref>。また、選手会の会長職を[[坂口智隆]]から引き継ぐことも発表された<ref name="sponichi20141128"></ref>。
'''{{by|2015年}}'''
:「[[GLOBAL BASEBALL MATCH 2015 侍ジャパン 対 欧州代表]]」の日本代表<ref>[http://www.japan-baseball.jp/jp/news/press/20150216_1.html 欧州代表戦、侍ジャパン出場選手発表!6選手が小久保体制下で初招集] 侍ジャパン公式サイト (2015年2月16日) 2015年3月22日閲覧</ref>として、[[3月11日]]の第2戦([[東京ドーム]])に出場<ref>[http://www.japan-baseball.jp/jp/team/topteam/score/20150311_1/table.html ひかりTV 4K GLOBAL BASEBALL MATCH 2015 侍ジャパン 対 欧州代表 第2戦 2015年3月11日(水) 東京ドーム 打席結果・投打成績] ''野球日本代表 侍ジャパンオフィシャルサイト'' (2015年3月11日) 2016年3月10日閲覧</ref>。その後開幕した公式戦でも、当初はスタメンマスクを任されていた。しかし、リード面での課題が露呈。し4月下旬から山﨑にスタメンマスクを明け渡す試合が相次いだことも背景に、[[5月8日]]から10日間にわたって、二軍での再調整を余儀なくされた<ref>{{Cite news |url=http://www.nikkansports.com/baseball/news/1473589.html |title=オリックス伊藤が登録抹消 首脳陣「もう一度勉強」|newspaper=nikkansports.com|publisher=日刊スポーツ新聞社 |date=2015年5月8日|accessdate=2016年8月7日}}</ref>。
:[[8月5日]]の対ロッテ戦(QVCマリンフィールド)では、0-0で迎えた9回裏無死3塁から、自身の[[捕逸]]でチームが[[サヨナラゲーム|サヨナラ負け]]を喫した。パ・リーグでは[[定詰雅彦]]がロッテ時代の[[1994年]][[6月12日]]の対オリックス戦で記録して以来史上4人目(当時)の事例で、オリックスの捕手では[[1988年]][[4月19日]]の対[[福岡ソフトバンクホークス|南海]]戦([[大阪球場]])で記録した[[内田強]]以来2人目。[[NPB]]の一軍公式戦で捕逸によって0-1でチームがサヨナラ負けを喫した事例は、[[土井淳]]が[[横浜DeNAベイスターズ|大洋ホエールズ]]時代の[[1956年]][[6月14日]]の対[[広島東洋カープ]]戦で記録して以来2例目で、パ・リーグでは初めてであった<ref>{{Cite news |url=http://www.nikkansports.com/baseball/news/1518775.html|title=オリックス伊藤まさかの0-1 サヨナラ捕逸 パで初|newspaper=nikkansports.com|publisher=日刊スポーツ新聞社 |date=2015年8月6日|accessdate=2016年8月7日}}</ref>。
:結局、一軍公式戦への出場試合数は104試合で、過去2年から減少となった。規定打席に到達できなかったものの、打率.271を記録したほか、捕手としての守備率は2年連続でリーグトップに達した。なお、シーズン終了後の11月に開かれた[[2015 WBSCプレミア12|第1回WBSCプレミア12]]には、9月の時点で日本代表の最終候補に選出された<ref>[http://www.japan-baseball.jp/jp/news/press/20150910_1.html 「WBSC世界野球プレミア12」侍ジャパントップチーム候補選手45名を発表] 野球日本代表 侍ジャパンオフィシャルサイト (2015年9月10日) 2015年9月20日閲覧</ref>。しかし、最終ロースターに残らなかったため、実際には同大会へ出場しなかった。
'''{{by|2016年}}'''
:一軍公式戦の開幕からスタメンマスクを任されたが、リード面での課題を理由に、[[4月15日]]付で出場選手登録を抹消された<ref>{{Cite news |url=http://www.nikkansports.com/baseball/news/1632573.html|title=オリックス伊藤二軍降格「ロード面で」と福良監督|newspaper=nikkansports.com|publisher=日刊スポーツ新聞社 |date=2015年4月16日|accessdate=2016年8月7日}}</ref>。その後も、後輩捕手・である[[若月健矢]]の台頭などの影響で、一軍と二軍を往復。一軍の公式戦で金子が先発しない場合には、スタメンマスクを若月に明け渡したり<ref name="1stbaseman" />、[[指名打者]]、[[一塁手]]としてスタメンに起用されたりするようになった<ref>{{Cite news |url=http://column.sp.baseball.findfriends.jp/?pid=column_detail&id=015-20160822-05|title=オリックス 伊藤光捕手・新ポジションも視野に試行錯誤|newspaper=週刊ベースボールONLINE|publisher=週刊ベースボール|date=2016年8月22日|accessdate=2016年9月9日}}</ref>。
:その一方で、二軍調整中の[[7月27日]]には、[[神戸総合運動公園野球場|神戸総合運動公園サブ球場]]で開かれたソフトバンクとのウエスタン・リーグ公式戦に「5番・[[一塁手]]」としてスタメンで出場<ref>[http://www.buffaloes.co.jp/farm/result/2016072701/ 2016年7月27日 オリックス 対 福岡ソフトバンク戦成績詳細]オリックス・バファローズオフィシャルサイト(2016年7月27日)2016年8月7日閲覧</ref>。一軍公式戦でも、[[8月6日]]の対ロッテ戦(京セラドーム大阪)8回裏に代打で出場すると、9回表から試合終了まで初めて一塁の守備へ就いた<ref name="1stbaseman">{{Cite news |url=http://www.nikkansports.com/baseball/news/1690447.html|title=オリックス伊藤が初一塁「いろいろ試しながら」監督|newspaper=nikkansports.com|publisher=日刊スポーツ新聞社 |date=2016年8月6日|accessdate=2016年8月7日}}</ref>。
'''{{by|2017年}}'''
== 選手としての特徴 ==
遠投120メートルの強肩に加え、50メートル6秒フラットの俊足<ref>{{Cite news |url=http://gendai.net/articles/view/sports/132047 |title=オリックス 伊藤光が大手術でなめた辛酸 |newspaper=ゲンダイネット |publisher=日刊現代 |date=2011年8月12日 |archiveurl=http://web.archive.org/web/20110901143015/http://gendai.net/articles/view/sports/132047 |archivedate=2011年9月1日}}</ref>を兼ね備えた、走・攻・守、三拍子揃った捕手。打撃では強打<ref>『プロ野球選手データ名鑑2011』宝島社、雑誌66086-81、84ページ </ref>を持っていると期待されながらも、三振数の多さと低打率などで課題を残していたが、近年、はかなり改善されている。また、リード面では投手の良さを活かしたリードが評価されている<ref name="daily20141023">{{Cite web|url= http://www.daily.co.jp/opinion-d/2014/10/22/0007438612.shtml|title=オリ伊藤 その名の通りキラリと光った |publisher=デイリースポーツ |accessdate=2014-10-23}}</ref>。
== 詳細情報 ==
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