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[[ファイル:Apóstoles del Pórtico de la Gloria.jpg|right|thumb|250px|[[巡礼]]の隆盛。スペインの[[サンチアゴ・デ・コンポステーラ]]大聖堂の「栄光の門」の[[ロマネスク様式]]の彫刻群。この地は[[サンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路]]の終点であり、多くの信者がここを訪れた。]]
[[File:Heiji Monogatari Emaki - Sanjo scroll part 5 - v2.jpg|thumb|right|300px|平治の乱。]]
[[ファイル:Itsukushima_torii_angle.jpg|right|thumb|250px|[[厳島神社]]。保元の乱と平治の乱に勝利した平氏が栄華を極めていた。]]▼
[[ファイル:AntokuTennou Engi.7&8 Dannoura Kassen.jpg|right|thumb|300px|壇ノ浦の戦い。]]
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[[ファイル:Zhu-xi1.gif|right|thumb|200px|[[宋学]]の大成。南宋では理気二元論が整備されるとともに[[大義名分論]]が盛んに唱えられた。画像は[[朱熹]]の肖像で、彼のもとで宋学が深められたことから「[[朱子学]]」とも呼ばれるようになった。]]
[[ファイル:Goryeo Celadon.jpg|right|thumb|200px|高麗青磁。この世紀の後半には独自の象嵌青磁が誕生する。画像は[[ソウル特別市|ソウル]]の[[澗松美術館]]の「青瓷象嵌雲鶴文梅瓶」。]]
▲[[ファイル:Itsukushima_torii_angle.jpg|right|thumb|250px|厳島神社。保元の乱と平治の乱に勝利した平氏が栄華を極めていた。]]
[[ファイル:Ornate wall panel relief at Hoysaleshwara temple, Halebidu.jpg|right|thumb|250px|[[ホイサラ朝]]の勃興。南インドのマイソール地方のホイサラ朝はこの時代に[[後期チャールキヤ朝]]の支配を脱し勢力を拡大した。画像は首都ドーラサムドラに建てたホイサレシューヴァラ寺院で細密な彫刻を全面に施すホイサラ様式が特徴である。]]
[[File:Minaret of jam 2009 ghor.jpg|thumb|right|200px|[[ゴール朝]]の興隆。[[ガズナ朝]]を滅ぼし[[ホラズム・シャー朝]]を屈服させたゴール朝の[[ギヤースッディーン・ムハンマド]]は中央アジアから北西インドにまたがる地域を支配した。画像はアフガニスタンのハリー川沿いに建てられた[[ジャームのミナレット]]。]]
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