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いっぽうで'''巻懐食鏡'''(香月牛山著:[[寛政]]2年=1790年)においては、「秋が来ると、山野の松の樹の下に生える。味は甘美で毒は無く、食べられる。傘の裏が緑青色に見える物がよい。味が軽い(?)ので、病人が食べてもよい。[[シメジ]]・[[エノキタケ|ナメススキ]]・ハツタケの三種は、きのこの中の佳品なり。」と説明されている。 '''倭訓栞'''(巻之参:[[谷川士清]]著:[[明治]]32年=1899年)には、「ハツタケ、紫蕈ともいう。ハツは早いことをいう。[[吉備国|備州]]ではアイタケ、尾州ではアオハチ、[[江州 (日本)|江州]]ではアオスリまたはアイスリ、賀州ではマツミミ、[[中国地方|中国]]、[[九州]]ではマツナバという。」との記述がある。日本初の[[方言]]研究書である物類称呼([[越谷吾山]]著:[[安永]]4年=1775年)にも同様の記事があり、すでに江戸時代には、食用菌として全国的に知られていたもののようである。
なお、1750年寛延3年には、[[大名]]の法宴にハツタケ料理が用いられている<ref>『毎日新聞』「岩村田藩主の法事料理」2001年10月4日号</ref>。
 
さらに、'''続江戸砂子'''(菊岡光行著:[[享保]]20年=1735年)には、「江府(=江戸)名産並近在近国」として「小金初茸・[[下総国]][[葛飾郡]][[小金]]之辺、所々出而発:在江府隔六里内外:在[[相模国|相州]][[藤沢市|藤沢]][[戸塚区|戸塚]]辺産、早産比下総:相州之産存微砂而食味下品。下総之産解砂而有風味佳品(小金初茸、下総国葛飾郡小金の辺、所々より出る。江戸より六里程。相州藤沢戸塚辺より出る初茸は、下総より早い。しかし相州産のものは微砂をふくみ、歯にさわってよくない。下総産のものは砂がなく、風味ももっとも佳い)。」との記事<ref>小池章太郎(編)、1976. 江戸砂子 沾凉纂輯. 813 pp. 東京堂出版、東京.</ref>がみえる。おそらくは、[[相模湾]]岸に広がるクロマツ林に産するハツタケと、内陸のアカマツ林に生えるハツタケとを比較したものではないかと思われる。