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'''木曜研究会'''が母体。のち周山会と改名。佐藤は、旧[[自由党 (日本 1950-1955)|自由党]]の吉田茂派を[[池田勇人]]の池田派([[宏池会]])と分ける形で派閥を形成し、佐藤の下には、[[佐藤派五奉行]]と言われた[[田中角栄]]、[[保利茂]]、[[橋本登美三郎]]、[[愛知揆一]]、[[松野頼三]]のほか、[[木村武雄]]、[[二階堂進]]などの人材が結集した。
 
佐藤が総理総裁職から退く直前、総裁選挙のために田中角栄が派内派を結成、佐藤派102名のうち81名が参加し、後に[[木曜クラブ|七日会]](後の[[木曜クラブ]])として独立した。周山会は保利茂が中心となり佐藤派内の福田支持グループをまとめる。周山会は周山クラブと名前を変え、少数派閥の保利グループとなる。
 
総裁選挙後は保利グループは[[清和政策研究会|福田派]]に合流し、派閥は消滅した。佐藤派の大派閥としての地盤は田中派に引き継がれていった。