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『[[笑点]]』の[[大喜利 (笑点)|大喜利]]メンバーだったこともある。答えの巧さよりも一発ギャグなどの突発的な面白さを重視し、ウケを狙った[[毒舌]]や失言も多く、番組スポンサー([[龍角散]])絡みで致命的な失敗を犯し、そのまま降板となった<ref>龍角散がスポンサーだったのに「市販の風邪薬は効かない」と、大喜利本編前の挨拶で言ったこと。その顛末を『[[生放送!おもしろ寄席]]』の「ハリセン大喜利」にて、よく話のネタにしていた。</ref><ref name="yumenosuke"/>。
 
ただし、大喜利メンバーであった2年間で座布団10枚は3回獲得しかも[[1978年]]には12度のほか合計3回、座布団10枚を獲得(記し、番組初の海外収に参加するなど短い出演期間で印象をしてい限りで<ref name="yumenosuke" />。座布団10枚他に[[桂歌丸]]が[[1983年]]と[[2003年]]の[[桂歌丸]][[1999年]]の[[林家木久扇|初代林家木久蔵(現:]]が[[林家木久扇)]]、[[2008|1999年]]に、[[春風亭昇太]]がいるだけ)したほか、番組初の海外収録[[2008年]]参加するなど、出演期間は短かったものの強い印象を残それぞれ10枚獲得している<ref name="yumenosuke"/>
 
なお、夢之助は[[三遊亭圓楽 (6代目)|三遊亭楽太郎]]と同時に大喜利メンバーに加入したが、この2人を最後に、20代で大喜利メンバーに加わった者はいない。またこの2人が最後で、[[二つ目]]のまま番組を降板したのも夢之助が最後である([[真打]]昇進は降板後の[[1983年]]に[[真打]]へ昇進している。夢之助以降の加入メンバーは全員加入前かレギュラー出演中に真打に昇進している
 
=== 夢之助サーブ ===
[[1979年]]頃、当時よくあった芸能人の[[スポーツ]]大会の一環で、([[野球]]大会はよくあったが)珍しく[[バレーボール]]の大会があった。夢之助のサーブは、右手を一回転廻しながら打つ独特の打ち方でなサーブを、実況アナウンサーから「夢之助サーブ」なる名前が付けられと称した。
 
=== 手話通訳をめぐる騒動 ===
[[2007年]][[9月17日]]、夢之助は[[島根県]][[安来市]]で行われた同市主催の独演会で、1時間の大ネタ『[[天災 (落語)|天災]]』に臨む際に、舞台上手話通訳者が待機していたところ、事前に聞か告知されていなかった手話通訳者が舞台上で通訳を行っており、夢之助の「気が散って噺を間違えるとお客さんに失礼なので、後ろに下がってほしい」という主旨で「気が散るし、落語は話し言葉でするもので手話に変えられるものではない。お客さんがいいと思うならわないが」という発言を繰り返した。こ言をけて、主催者担当手話通訳者を舞台から降ろし、下の客席へ移動させて通訳させた。会場に当日は聴覚障害を有する観客が3名いており、同市の主要行事は手話通訳が慣例となっていた<ref>[https://archive.is/20120712122336/mainichi.jp/kansai/news/20071031k0000m040176000c.html 落語家・夢之助さん:「手話通訳気が散る」島根の敬老会で](毎日新聞 2007年10月31日)</ref><ref>[http://web.archive.org/20080302042741/hochi.yomiuri.co.jp/feature/entertainment/topics/news/20071101-OHT1T00099.htm 落語に手話「気が散る」抗議で謝罪…三笑亭夢之助さん独演会](スポーツ報知 2007年11月1日)</ref>であることから、島根県ろうあ連盟は落語芸術協会と同市へ抗議文を送付した。夢之助は直筆の謝罪文を寄せ、市は担当者が当該の聴覚障害者に直接謝罪したが、新聞報道などの騒動から市長が落語芸術協会を訪問して謝罪し、「事前に手話通訳をつけることを伝えていなかったことにより、不適切な発言が起きた」との謝罪文を市のウェブサイトに掲載した<ref>[http://web.archive.org/20080302042741/hochi.yomiuri.co.jp/feature/entertainment/owarai/news/20071102-OHT1T00104.htm 落語芸術協会訪れ安来市長2日に謝罪…夢之助さん手話トラブル問題](スポーツ報知 2007年11月2日)</ref><ref>[http://www.city.yasugi.shimane.jp/p/1/5/9/3/1/16/8/ 安来市敬老会「賢人の集い」の落語独演会について(お詫び)](安来市ウェブサイト 2007年11月2日、現在は削除)</ref>。
 
後日、この話を聞いた島根県ろうあ連盟は、落語芸術協会と同市に抗議文を送付した。同市は担当者が聴覚障害者に直接謝罪した他、夢之助は直筆の謝罪文を寄せた。新聞報道などで騒ぎが大きくなったことを受け、同市市長が落語芸術協会に訪問して謝罪することになった。また、同市ウェブサイトに「事前に手話通訳をつけることを伝えていなかったことにより、不適切な発言が起きた」とするお詫び文を掲載した<ref>[http://web.archive.org/20080302042741/hochi.yomiuri.co.jp/feature/entertainment/owarai/news/20071102-OHT1T00104.htm 落語芸術協会訪れ安来市長2日に謝罪…夢之助さん手話トラブル問題](スポーツ報知 2007年11月2日)</ref><ref>[http://www.city.yasugi.shimane.jp/p/1/5/9/3/1/16/8/ 安来市敬老会「賢人の集い」の落語独演会について(お詫び)](安来市ウェブサイト 2007年11月2日、現在は削除)</ref>。
 
== 略歴 ==