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===引退後===
その後式場は、杉江らとともに、シキバエンタープライズを設立し、同社の自動車関連アクセサリーブランドである'''レーシングメイト''' (RACING MATE) も立ち上げ、浮谷や生沢のレース活動を裏方からサポートした。彼らのトレードマークである四葉の[[シャジクソウ属|クローバー]]<ref>"[http://www.sanwa-trd.co.jp/classicmini/moto/event/20130205.html 2013年02月05日■ RACING MATE とライセンス契約を締結]". 三和トレーディング有限会社</ref>や[[ヴァンヂャケット]] (VAN) との[[ダブルネーム]]は当時の若者の憧れのファッションアイテムとなった。また、自動車雑誌『カーマガジン』([[ベースボール・マガジン社]]刊<ref>後に出版されているネコ・パブリッシング刊の同名雑誌とは異なる。</ref>)の責任編集を行なった。しかし1960年代末にレーシングメイトも倒産、カーマガジンも休刊となり、その後は父のあとを継いで精神科病院・式場病院の経営に関わり、専務理事を経て[[理事長]]を務める。
式場はレース引退後も自動車愛好家であり、[[フェラーリ・F12ベルリネッタ]]や[[ベントレー]]を日常の足として愛用し、[[1990年代]]には[[ブガッティ]]のアドバイザーを務めた。『[[NAVI]]』や『ENGINE』などの自動車雑誌に度々登場し、[[ミッレミリア]]などのクラシックカーレースに時々参加していた。
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