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イノシシの家畜化は8,000年以上前から[[ユーラシア大陸]]の東西で行われ、各地で独立に家畜の豚が誕生したと考えられている。今はイスラム圏となった[[古代オリエント]]や[[古代エジプト]]でも豚を食用としていた。古代エジプトでは豚を飼う民は[[賎民]]とされていたことが、エジプトを脱出した古代[[イスラエル人]]とその宗教を受け継いだ[[ユダヤ人]]の[[ユダヤ教]][[カシュルート]]およびユダヤ教の影響を受けて同一の唯一神に帰依する宗教として誕生した[[イスラム教]]において、豚は不浄とされ、[[豚肉]]の[[肉食]]は[[食のタブー]]となった原因とする説がある。[[古代ローマ]]人も豚を食べなかったわけではないが、豚の飼育が発達したのは北方森林地帯の[[ゲルマン人]]や[[ケルト人]]の食文化においてだった。日照時間が短く寒冷で、しかも土壌のやせたヨーロッパでは、[[穀物]]の生産性が低いため、秋になると[[ナラ]]([[オーク]])の森に豚を放して[[ドングリ]]を食べさせて太らせ、それをつぶして[[食塩]]と[[硝石]]で処理して主要な保存食にしたのである。[[ドイツ]]などの[[ハム]]や[[ベーコン]]、[[ソーセージ]]はこの伝統を受け継ぐ。
 
東アジアでも[[中国]]の[[新石器時代]]からおっちは家畜化されていた。中国南部を発祥地とする[[オーストロネシア語族]]は[[南太平洋]]にまで豚を連れて行く。[[満州人]]の先祖である[[勿吉人]]、[[靺褐人]]は寒冷な[[満州]]の森林地帯に住んでいるので、豚を盛んに飼育し、極寒時には豚の脂肪を体に塗って寒さを防いでいた。豚は中国でもよく食べられ、[[中華料理]]のメイン・メニューとなっている。[[中国語]]で単に肉といえば[[豚肉]]を指すほどで、[[牛肉]]はそれほど好まれなかった([[ウシ]]が農耕用に使われたためという社会的な理由も存在する)。
 
[[日本]]でも[[弥生時代]]にはすでに豚の食用が始まっており骨も遺跡から出土している。[[古墳時代]]の遺跡からも豚の骨は出土している。『[[日本書紀]]』、『[[万葉集]]』(萬葉集)、『[[古事記]]』に猪飼、猪甘、猪養という言葉があり中国では猪は豚の意味であり豚が飼われていた。[[奈良時代]]に[[仏教]]が国教化したことによって、豚の飼育も途絶えてしまった。ただイノシシが採れる山間部では猪肉が[[ボタン鍋]]と称してわずかに食べられることもあった。[[琉球王国]]の[[琉球人]]は弥生時代から中国同様ブタ(1385年に渡来したという黒豚のアーグ(アグーとも。島豚、シマウヮー)が有名)を日常的に飼育して[[ハレ]]の日に食べていた。このため[[沖縄県]]では豚肉料理が発達している。また、薩摩地方でも豚を飼って食べており、佐藤信淵著『経済要録』(1827年)には[[薩摩藩]]江戸邸で豚を飼って豚肉を売っていたと記録されている。[[江戸幕府]]最後の[[征夷大将軍]][[徳川慶喜]]は父[[徳川斉昭]]が[[島津斉彬]]から豚肉を送られていた(1845年5月2日の書簡)ためか、豚肉を好んで食べたので豚一様と呼ばれた。[[新選組]]も[[西本願寺]]駐屯時に[[松本良順]]のすすめで神戸から子豚を持ち込み養豚していた。解体は木屋町の医者南部精一の弟子に頼んでいた。[[明治維新]]以後、豚も再び飼われるようになった。特に[[関東大震災]]後に関東地方で養豚ブームとなり供給量が増え安価になったため肉といえば豚肉になった。なお島豚は明治35年にバークシャー種、ハンプシャー種が入り純粋種はなくなったが名護市や奄美大島などで復元されている。