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=== 新社会党結成後 ===
結党時、新社会党は衆議院議員2人と参議院議員3人で構成され、[[政治資金規正法]]の政党要件を満たしていた。しかし、[[労農派]][[マルクス主義]]の影響を受けた「[[労働者階級]]の党」という自己規定は国民からの幅広い支持を受けにくい状況を創出した。また[[ソビエト連邦]]の崩壊や[[朝鮮民主主義人民共和国|北朝鮮]]への反感増大などによる[[社会主義]]への幻滅という世情にも押されてその党勢は低迷した。社会党時代の有力な支持基盤だった[[日本労働組合総評議会|総評]]系労働組合の大半が支援を打ち切り、民主党や社民党支持に回った事も響いた。
 
矢田部自身も[[1998年]]の[[第18回参議院議員通常選挙]]では同党の比例区から立候補して落選し、新社会党は国会での議席を全て失った。続く[[2001年]]の[[第19回参議院議員通常選挙]]でも比例区で立候補し、落選した。[[2002年]]、矢田部は小森に委員長職を譲った。
 
1990年代以降、日本の左派政党が低迷する中、左派・護憲派・市民派を中心的な支持層とする新社会党が、小選挙区制を基本とする現在の国会で議席を回復するのはかなり困難な状況である。矢田部自身、4期24年の議員経験を持ち、党委員長として知名度もあった2度の参議院選挙でも敗れ、いまだ国政での議席復活はなされていない。
 
なお、外交面では旧社会党が持っていた北朝鮮とのパイプを維持し、[[1999年]]には北朝鮮を訪問し、[[朝鮮労働党]]の[[金容淳]]書記らと会談した。
 
=== 政治家以外の活動 ===