「埼玉県」の版間の差分
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== 名称 ==
[[浦和県]]、[[岩槻県]]、[[忍県]]が統合してできた旧埼玉県(現在の埼玉県の東側3分の1)の設置当初、[[県庁]]が[[埼玉郡]]岩槻町(現:[[さいたま市]][[岩槻区]])に置かれる予定であったため、その郡名から'''埼玉県'''と名付けられた{{Sfn|谷川彰英|2017|pp=35-37}}。しかし、岩槻には県庁に適した建物が無く{{Sfn|谷川彰英|2017|pp=35-37}}、県庁業務は[[足立郡]][[浦和宿]](現:さいたま市[[浦和区]])の旧[[浦和県]]庁舎で行われた。一方、現在の埼玉県の西側3分の2に当たる地域は'''[[入間県]]'''となり、その後、[[群馬県]]と合併して[[熊谷県]]となるも僅か3年で熊谷県は解消され、旧入間県地域は旧埼玉県と合併して現在の埼玉県が誕生した。その際に、埼玉県の名称のまま県庁所在地も浦和宿となったため、岩槻町が実質的な県庁として機能することはなかった。[[1890年]](明治23年)[[9月25日]]には、[[勅令]]により正式に[[北足立郡]][[浦和市|浦和町]]が県庁所在地となった。
「埼玉」の地名の発祥地は「埼玉郡[[埼玉村|'''埼玉'''(さきたま)村]]」(現:[[行田市]]大字埼玉)である。その名称の由来は諸説あるが、[[埼玉古墳群]]が由来とする説や、[[幸福]]をもたらす[[神]]の働きを意味する「幸魂」(さきみたま)から名づけられたとする説がある。[[奈良時代]]の『[[万葉集]]』に'''「前玉」「佐吉多万」'''(さきたま)という記述があり、また、[[平安時代]]の『[[和名類聚抄]]』に'''「埼玉」「佐伊太末」'''(さいたま)という郡名がみられる。当時、既に「さいたま」と呼ばれていることが分かる。
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== 地理・地域 ==
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== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
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== 参考文献 ==
* {{Cite book|和書|author=谷川彰英|authorlink=谷川彰英|date=2017-08-10|title=埼玉 地名の由来を歩く|publisher=[[ベストセラーズ|KKベストセラーズ]]|edition=初版|ISBN=978-4-584-12561-8|ref=harv}}
== 関連項目 ==
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