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Togabi (会話 | 投稿記録)
片仮名「ソバ」は植物として、麺として下降された場合は「蕎麦」。無関係な記述を削除し簡潔に。
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== 概要 ==
このつゆの名称は「絞り汁」を由来とした「おしぼり」であり、手を拭く[[おしぼり]]とはまったく無関係で、ねずみ大根という[[ダイコン|大根]]をすりおろし、布巾で搾った汁に[[信州味噌]]を溶かしてつゆを作り、[[うどん]]をつけて食べる。[[大根おろし]]ではなく、搾り汁を使うという点が特徴である。味は、大根に依存し辛いのが好まれが、とても辛い
 
ねずみ大根以外にも、中之条大根、上野大根、戸隠大根など辛みのある大根を利用する。薬味には刻み[[ネギ]]、[[削り節]]などを添える。なぜこのような食べ方になったかというと、信州は海から遠く離れていたことがあげられる。[[コンブ|昆布]]や[[鰹節]]といった海産物は手に入りにくく、出汁にできない。また、[[醤油]]も東日本で一般に普及したのは[[江戸時代]]も後期のことであり、田舎では高級品であった。[[砂糖]]や[[味醂]]はなおさらである。(現代人にもそうだが)江戸人の舌には全く合わなかったとみえ、「蕎麦は美味いがつゆは江戸からもっていけ」といわれていた
 
== 類似の習慣 ==
家庭に[[囲炉裏]]があった頃は囲炉裏に掛けた大鍋でうどんを茹で、茹で上がったうどんをうどん掛けという器具に引っ掛け、つけ汁を入れた器に引っ張りあげて食べていた。故に別名ひっぱりうどんと呼ばれた。
同じ長野県の[[戸隠]]や[[千曲市]](旧更埴市、旧戸倉町)には「おしぼりそば」がある。同様に辛味大根の絞り汁に[[味噌]]を溶かしたものをつゆとして冷たい[[ソバ蕎麦]]を浸して食べる習慣がある。
 
[[善光寺平]]では、太く長く生きる祈願を込めて[[正月]]2日の[[夕食]]はうどんを食べる習慣があった。思い切り音を立てて食べることから「謡い初め」と呼ばれた。[[餅]]や[[雑煮]]の代わりにうどんを食べる地域もあった{{Sfn|奥村彪生|2014|pages=315-316}}。
 
同じ長野県の[[戸隠]]や[[千曲市]](旧更埴市、旧戸倉町)には「おしぼりそば」がある。同様に辛味大根の絞り汁に[[味噌]]を溶かしたものをつゆとして冷たい[[ソバ]]を浸して食べる。
 
なぜこのような食べ方になったかというと、信州は海から遠く離れていたことがあげられる。[[コンブ|昆布]]や[[鰹節]]といった海産物は手に入りにくく、出汁にできない。また、[[醤油]]も東日本で一般に普及したのは[[江戸時代]]も後期のことであり、田舎では高級品であった。[[砂糖]]や[[味醂]]はなおさらである。(現代人にもそうだが)江戸人の舌には全く合わなかったとみえ、「ソバは美味いがつゆは江戸からもっていけ」といわれていた。
 
このつゆの名称は「絞り汁」を由来とした「おしぼり」であり、手を拭く[[おしぼり]]とはまったく無関係である。
 
== 脚注 ==