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== 人物・逸話 ==
[[ファイル:Gesshouji Juzouhi monument.JPG|thumb|大亀伝説の残る寿蔵碑]]
* 隠居してからの宗衍は奇行を繰り返したため、それにまつわる逸話が多い。家臣に命じて色白の美しい肌の美女を連れて来いと命じ、その女性の背中に花模様の刺繍を彫らせ、その美女に薄い白色の着物を着させて、うっすらと透けて浮き上がってくる背中の刺繍を見て喜んだといわれる。刺青を入れられた女性は「文身<small>(いれずみ)</small>侍女」と呼ばれて江戸の評判になったが、年をとって肌が弛んでくると宗衍は興味を失い、この侍女を家臣に与えようとしたが誰も応じず、仕方なく1000両を与えるからとしても誰も応じなかったという{{R|奈良本}}
* 江戸の赤坂にある藩邸の一室に、天井から襖まで妖怪やお化けの絵を描いた化け物部屋を造り、暑い夏の日は一日中そこにいたといわれる。
* 美男美女を藩邸に集めて、素っ裸の茶会を催して悦に入ったといわれる{{要出典|date=2010年2月}}。
* 『[[赤蝦夷風説考]]』などの著書で知られる医師・経世家(経済学者)である[[工藤平助]]との交流の話が残る。
* [[松浦清]]の随筆『[[甲子夜話]]』正篇巻之五十一には、'''松平南海'''が退屈を紛らわすために長身力士の[[釋迦ヶ嶽雲右エ門]]を化物に扮装させて、芝高輪(現・[[高輪]])の貧乏医者をからかった旨の記述がある。
* [[月照寺 (松江市)|月照寺]]にある宗衍の廟所に寿蔵碑があり、大亀の石像が土台となっている。この石亀が夜な夜な松江の街を徘徊したという伝説があり、後年、松江に滞在した[[小泉八雲|ラフカディオ・ハーン]]が随筆『知られざる日本の面影 ({{lang|en|Glimpses of Unfamiliar Japan||}}』([[1894年]])で紹介している。{{see|[[月照寺 (松江市)#大亀伝説]]}}
* 隠居後の宗衍の奇行を題材にして[[谷津矢車]]が小説「雲州下屋敷の幽霊」(『[[オール讀物]]』2016年12月号掲載)を執筆している{{R|佐藤}}。
 
== 出典・脚注 ==
{{Reflist|refs=
<ref name="朝日">{{cite book|和書|title=朝日日本歴史人物事典|author=[[笠谷和比古]]|year=1994|publisher=[[朝日新聞社]]|chapter=松平宗衍}}</ref>
<ref name="再生">{{cite book|和書|title=歴史に学ぶ地域再生: 中国地域の経世家たち|author1=[[童門冬二]]|author2=[[野島透]]|author3=[[増矢学]]|publisher=[[吉備人出版]]|year=2008|isbn=9784860692087}}</ref>
<ref name="財団">{{cite web|url=http://izumo-zaidan.jp/tag/hiratahonjinkinenkan/97|title=本陣絵巻#第六代松江藩主 松平宗衍/マツダイラムネノブ|publisher=出雲市芸術文化振興財団|accessdate=2017-10-25}}</ref>
<ref name="観光">{{cite web|url=https://www.kankou-matsue.jp/omoshiro/rekishi.html|title=松江の歴史#近世|publisher=松江観光協会|accessdate=2017-10-25}}</ref>
<ref name="奈良本">{{cite book|和書|title=武士・官吏: 仕事と暮らし|author=[[奈良本辰也]]|year=1979|publisher=[[平凡社]]|page=41}}</ref>
<ref name="佐藤">{{cite web|url=http://gold-fish-press.com/archives/55782|title=No.112 谷津矢車「雲州下屋敷の幽霊」(オール讀物 2016年12月号)|author=佐藤知恵子|publisher=[[文学金魚]]|accessdate=2017-08-18}}</ref>
}}