「見沼代用水」の版間の差分
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[[1965年]]、埼玉県は、「[[見沼田圃農地転用方針]]」(通称'''「見沼三原則」''')と題した指針を制定した。内容は、'''八丁堤より北から埼玉県道64号浦和岩槻線'''(現[[埼玉県道65号さいたま幸手線]])'''付近までは緑地を維持する'''というものであった。[[1969年]]には、「見沼田圃の取扱いについて」(通称'''「見沼三原則補足」''')を制定したが、減反政策などのあおりを受け、休耕田が目立つようになってしまった。また農家の高齢化も進み、土地所有者からは開発規制緩和の声も強いが、[[1995年]]に「見沼三原則」・「見沼三原則補足」に代わる新たな土地利用の基準として、'''「見沼田圃の保全・活用・創造の基本方針」'''を策定して、規制を事実上継続することとなった。
これを受けて、さいたま市は「見沼に100haの公園緑地帯を創出させる」という'''見沼セントラルパーク構想'''を打ち出し、その手始めとして、浦和・大宮・与野・岩槻の4市合併を象徴する公園を大宮区内に「[[合併記念見沼公園]]」として[[2007年]](平成19年)に開園した。その一方で、人間の手を一切加えるのをやめて自然の湿地帯にするという意見もある。
見沼代用水東縁の東京都[[足立区]]の部分のうち約1700mは、[[1984年]](昭和59年)に[[見沼代親水公園]]として整備された。
== 歴史 ==
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