「ナザレのイエス」の版間の差分
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[[1835年]]、[[カール・ラハマン]]([[:de:Karl Lachmann|Karl Lachmann]])が、『マタイ』、『マルコ』、『ルカ』の[[共観福音書]]のうち、最初に書かれたのは『[[マルコによる福音書]]』であるという「マルコ優先説」を提起するや、『マルコ福音書』の分析にもとづけばイエスの歴史的実像にたどり着けるという見方が当時の聖書学者のなかで有力となっていった。[[ハインリヒ・ホルツマン]]([[:de:Heinrich Holtzmann|Heinrich Holtzmann]])はこの学説にもとづき、[[1886年]]、福音書は救い主([[メシア]])であるイエスが自己を[[啓示]]する過程を記述したものであるとの見解を発表した。
しかし、この見解は[[ウィリアム・ヴレーデ|ヴィリアム・ヴレーデ]]([[:de:William Wrede|William Wrede]])が発表した「メシアの秘密」仮説の提唱によって深刻な打撃をこうむることになる。すなわち、ヴレーデは自著『福音書におけるメシアの秘密』([[1901年]])において、『マルコ福音書』のなかで、イエスが弟子や人びとに対し自分を[[メシア]]であることを言いふらすことを禁じる(秘密にする)命令をしているのは、イエス自身がそもそもメシア(キリスト)としての自覚を持っていなかったためであり、ホルツマンが注目するような記述は当時の教会神学が生みだしたものであると断じたのである。これに対して[[アルベルト・シュヴァイツァー]]は[[1906年]]から[[1913年]]にかけて『イエス伝研究史』を著わし、これまでのイエス研究そのものが研究者の思想的背景の単なる投影に過ぎなかったと主張して、イエスは[[終末論]]的[[世界観]]のなかに生きていたのであり、メシア(キリスト)としての自覚を持っていたという見解を表明した。{{独自研究範囲|ちなみにイエスが自分がメシアであることを秘密にするよう言い始めたのは、ユダヤ人が救われる時期ではなかったからであると読み取れる。|date=2018年5月}}
==== ブルトマン以後 ====
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