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== 来歴 ==
[[東京府]][[豊多摩郡]][[戸塚町 (東京府)|戸塚村]](現・[[新宿区]])生まれ。父親は弁護士であった。[[愛知県]][[岡崎市]]に移り、岡崎市立投尋常小学校高(現・[[岡崎市立根石小学校]])に入学<ref>『[[東海愛知新聞|東海新聞]]』1975年から6月24日、1面、「中根千枝東大教授招き あす岡信本店ホールで教育講演会」。</ref>。6年生の秋まで在学したのち中国に渡り、6年ほど、[[北京]]で暮らす<ref name="SANKEI2">{{Cite web |url=http://www.sankei.com/life/news/141124/lif1411240024-n2.html|title=「タテ社会の人間関係」 ソトから見えた日本の構造とは 中根千枝さん|accessdate=2015-10-29|work=[[産経新聞|産経ニュース]]【自作再訪】|publisher=[[産業経済新聞社|株式会社産経デジタル]]|date=2014.11.24|page=2}}</ref>。東京都立第八高等女学校(現・[[東京都立八潮高等学校]])、[[津田塾]]専門学校外国語科卒業<ref group="注">津田塾から東大に入った同期に[[森山真弓]]元法務大臣がいる。</ref>。[[東京大学大学院人文社会系研究科・文学部|東京大学文学部]]東洋史学科卒、同大学院修了<ref name="SANKEI4">{{Cite web |url=http://www.sankei.com/life/news/141124/lif1411240024-n4.html|title=「タテ社会の人間関係」 ソトから見えた日本の構造とは 中根千枝さん|accessdate=2015-10-29|work=[[産経新聞|産経ニュース]]【自作再訪】|publisher=[[産業経済新聞社|株式会社産経デジタル]]|date=2014.11.24|page=4}}</ref>。[[東北地方|東北]]から[[鹿児島]]までの[[村落|農村]]の調査を経た後、[[人類学]]の研究を世界各地で行う<ref name="SANKEI1">{{Cite web |url=http://www.sankei.com/life/news/141124/lif1411240024-n1.html|title=「タテ社会の人間関係」 ソトから見えた日本の構造とは 中根千枝さん|accessdate=2015-10-29|work=[[産経新聞|産経ニュース]]【自作再訪】|publisher=[[産業経済新聞社|株式会社産経デジタル]]|date=2014.11.24|page=1}}</ref>。1953年(昭和28年)に[[インド]]に3年、1959年(昭和34年)から1962年(昭和37年)にかけては[[イギリス]]、[[イタリア]]、その他[[シカゴ大学]]、[[ロンドン大学]]で研究を積む<ref name="SANKEI1"/>。インドの奥地[[アッサム州|アッサム]]を探検、調査したものをまとめた『未開の顔・文明の顔』を1959年に刊行し、[[毎日出版文化賞]]を受賞<ref name="SANKEI4"/>。
その後日本に戻ると、月刊誌『[[中央公論]]』から「どんなテーマでもいいから[[論文]]を書いて」といった注文を受け、「日本の集団構造はどこでも同じ」というテーマを思いつく<ref name="SANKEI1"/>。ホテルにこもり、2週間ほどで「日本的社会構造の発見」(『中央公論』昭和39年5月号)を書き上げたところ、[[猪木正道]]がその論文を評価した事も手伝い複数の出版社から書籍化の話を持ちかけられ、論文を加筆・修正した『タテ社会の人間関係』を[[1967年]]に(昭和42年)に刊行<ref name="SANKEI2"/>。2015年(平成27年)現在までに124刷116万部超の[[ベストセラー|ロングセラー]]を記録し、イギリスで出版された英語版は、13カ国で翻訳出版された<ref name="SANKEI2"/>。
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