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=== 破綻の日 ===
[[11月15日]]([[土曜日]])、東京都[[千代田区]]の[[パレスホテル]]での取締役会決定が[[札幌市]]の本店に伝わると、来たる[[11月17日]]([[月曜日]])への対策が始まった。[[取り付け騒ぎ]]に備えるため、[[行]]は拓銀の預金の2%にたる現金800億円を用意するよう指示。拓銀が準備できたのは360億円で、不足分は[[日銀特融]]を利用し、事前に道内134の拓銀本支店へと運び込んでおく必要があった。拓銀の経営不安がマスコミで報じられるようになった頃から、日銀の道内支店には平時より多めの[[紙幣]]が用意されていた。ただ、日銀としても都銀の破綻は経験が無く、既に破綻した[[兵庫銀行]]、[[太平洋銀行]]や[[阪和銀行]]のケースは参考にならなかった。そこで、道内各支店から資金母店、資金母店から日銀支店への所要時間を逆算して現金輸送のスケジュールを組み、それに合わせて日銀各支店では各支店ごとに必要な資金を推測し現金を用意するという綿密な計画を作成し、異例とも言える休日返上の不眠不休での突貫作業が行われた。
 
拓銀の経営不安が、マスコミで報じられるようになった頃から、日銀の道内支店には平時より多めの[[日本銀行券]]が用意されていた。ただ、日銀としても都銀の破綻は経験が無く、既に破綻した[[兵庫銀行]]、[[太平洋銀行]]や[[阪和銀行]]のケースは参考にならなかった。
11月16日夕方から現金輸送が始まり、各支店にも通達がなされ、作業が終わったのは21時。同時に本店勤務員の各自宅に連絡が入り、翌朝7時までに支店の応援に向かうよう伝えられた。深夜の拓銀本店では、取引先への配布文書・店頭ポスター・記者会見の想定問答集などの準備が整いつつあった。
 
そこで、道内各支店から資金母店、資金母店から日銀支店への所要時間を逆算して現金輸送のスケジュールを組み、それに合わせて日銀各支店では、各支店ごとに必要な資金を推測し、現金を用意するという綿密な計画を作成し、異例とも言える休日返上の不眠不休での突貫作業が行われた。
11月17日の朝を迎える。午前8時20分、拓銀本店の記者会見場に経営陣が現れた。[[リストラ]]を進めつつも信用不安報道が続き、道銀との合併延期で預金流出が止まらなかったことなど、苦しい営業譲渡への経緯を述懐し「明日以降の資金繰りの目処が立たなくなりましたので北洋銀行に営業譲渡をする事と致しました」と述べ、最後に河谷頭取の「どうも、申し訳ございませんでした」との声と同時に同席した全役員が起立し深々と頭を下げた。これとほぼ同時期に北洋銀行本店でも先程決定したばかりの営業引継ぎを発表。大蔵省でも[[三塚博]][[大蔵大臣]]による会見が開かれ、「預金・貸出は引き継がれるので利用者は安心するように。くれぐれも落ち着いた行動を取って欲しい」との説明がなされた。会見を終えた河谷頭取から道銀に簡単な電話連絡が入り、合併撤回がここで正式に決定した。会見に出席した専務以上5人の役員は退任した。
 
[[11月16日]]([[日曜日]])夕方から現金輸送が始まり、各支店にも通達がなされ、作業が終わったのは21時。同時に本店勤務員の各自宅に連絡が入り、翌朝7時までに支店の応援に向かうよう伝えられた。深夜の拓銀本店では、取引先への配布文書・店頭ポスター・記者会見の想定問答集などの準備が整いつつあった。
都銀初の破綻のニュースは早朝から[[テレビ]]でも報じられ、新聞社は街頭で号外を配った。[[室蘭市|室蘭]]支店には開店30分で100人が、[[釧路市|釧路]]支店には200人が詰め掛け、混乱に備え[[警察官]]も動員された。店頭には今後の預金保護について問う客、融資契約を確認する客、拓銀を批判する客などさまざま。いずれにせよ道民への心理的不安は大きく、この日だけで解約された預金は600億円、[[11月19日]]までの3日間で4,900億円に上り、支店によっては預金解約の際に使われる伝票や払戻請求書が底をついてしまい、近隣支店からの融通も利かず止むなくコピーした帳票を使って対応せざるをえない状況だった。
 
11月17日の朝を迎える。午前8時20分、拓銀本店の[[記者会見]]場に経営陣が現れた。[[リストラ]]を進めつつも信用不安報道が続き、道銀との合併延期で預金流出が止まらなかったことなど、苦しい営業譲渡への経緯を述懐し「明日以降の資金繰りの目処が立たなくなりましたので北洋銀行に営業譲渡をする事と致しました」と述べ、最後に河谷頭取の「どうも、申し訳ございませんでした」との声と同時に同席した全役員が起立し深々と頭を下げ[[お辞儀]]し[[謝罪]]した。これとほぼ同時期に北洋銀行本店でも先程決定したばかりの営業引継ぎを発表。大蔵省でも[[三塚博]][[大蔵大臣]]による会見が開かれ、「預金・貸出は引き継がれるので利用者は安心するように。くれぐれも落ち着いた行動を取って欲しい」との説明がなされた。会見を終えた河谷頭取から道銀に簡単な電話連絡が入り、合併撤回がここで正式に決定した。会見に出席した専務以上5人の役員は退任した
 
大蔵省でも[[三塚博]][[大蔵大臣]]による会見が開かれ、「預金・貸出は引き継がれるので利用者は安心するように。くれぐれも落ち着いた行動を取って欲しい」との説明がなされた。会見を終えた河谷頭取から道銀に簡単な電話連絡が入り、合併撤回がここで正式に決定した。会見に出席した専務以上5人の役員は退任した。
 
都銀初の破綻のニュースは早朝から[[テレビ]]でも報じられ、新聞社は街頭で[[号外]]を配った。[[室蘭市|室蘭]]支店には開店30分で100人が、[[釧路市|釧路]]支店には200人が詰め掛け、混乱に備え[[北海道警察]]の[[日本の警察官|警察官]]も動員された。店頭には今後の預金保護について問う客、融資契約を確認する客、拓銀を批判する客などさまざま。いずれにせよ道民への心理的不安は大きく、この日だけで解約された預金は600億円、[[11月19日]]までの3日間で4,900億円に上り、支店によっては預金解約の際に使われる伝票や払戻請求書が底をついてしまい、近隣支店からの融通も利かず止むなくコピーした帳票を使って対応せざるをえない状況だった。
 
いずれにせよ、北海道民への心理的不安は大きく、この日だけで解約された預金は600億円、[[11月19日]]までの3日間で4,900億円に上り、支店によっては預金解約の際に使われる伝票や払戻請求書が底をついてしまい、近隣支店からの融通も利かず、止むなく[[複写機]]で[[複写]]した帳票を使って対応せざるをえない状況だった。
 
== 破綻後 ==