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== 生涯 ==
呂護の参軍であったが、護が敗れると中書著作郎に任じられた(361)。
のち黄門侍郎となり、晋将桓温の北伐軍を退けたのち慕容暐の使者として前秦へ遣わされた(369)。このとき秦主苻堅は狩猟を行っており、その場で琛を引見しようとした。琛が言った。「秦使がやって来れば燕の君臣は朝服を身に着けて礼をもって朝廷を掃き清め、その後に面会しております。今、秦主は野において引見しようとされておりますが、臣はこれに応じることはできません」堅は行宮を設け、百官を陪席させて威儀を整えて引見した。その後堅は私的な宴席を設けて言った。「東朝の名臣は誰か」琛が答えて言った。「太傅・上庸王評は明徳至親であって王室を輔けており、車騎大将軍・呉王垂は雄略が世に冠たるものがあり、その他の文武も皆その職を得ており野に遺賢はおりません」琛の従兄奕は秦に仕えていたため、秦主堅はその館に宿泊させようとした。これに対して琛が言った。「昔諸葛瑾は呉の為に蜀を聘問しましたが、諸葛亮と公に会いましたが私的に会うことはありませんでした。私はこれを慕います。今私室とするには安心できますが、使うわけにはいきません」彼の館を使用しなかった。奕はしばしばやってきて起居をともにし、東国の事を問うた。琛が言った。「今二方が分拠して兄弟が並んで栄寵を蒙っており、その本人を論じれば各々所在があります。琛が東国の美点を言おうとすれば西国の聞きたくないことであることを恐れますし、その悪を言うのは使臣の論ずべきことではありません」王猛は琛をそのまま留めるよう勧めたが、堅は許さなかった。
帰還すると鄴に急行したが、すでに呉王垂が秦へ奔った後だった。琛が慕容評に言った。「秦人は軍備を整えており、琛が見るには平和を長く保つことはできないでしょう。今呉王がこれに帰したからには秦は必ずや燕を窺うでしょうから備えられますように」評がこれに対して言った。「秦はどうして叛臣を受け入れて和を破ることがあろうか」琛が言った。「今、二国が中原に分拠して常に互いを併呑しようという志をもっております。桓温が入寇した際に彼が救援したのは燕を救おうとしたのではなく、燕に変事があれば彼は必ずやその本志を遂げようとするでしょう」評が言った。「秦主の人柄はどうか」琛が言った。「明にして決断力があります」王猛について問われると琛が言った。「虚名を得ているのではありません」評は納得せず、燕主暐に報告したが暐も納得しなかった。皇甫真に報告すると、真は深くこれを憂えた。
秦軍の来攻に際して慕容暐はこれを召して問うた。「秦兵の衆寡はどうだろうか。今大軍がすでに出発しているが秦は戦うだろうか」琛が言った。「勝敗は謀にあって衆寡にはありません。秦は遠く来寇したからにはどうして戦わないことがあるでしょうか」暐はこれを聞いて喜ばなかった。
評が敗れると暐によって獄に収められた(370)。前燕の滅亡後苻堅は鄴に入ると琛を開放し、引見して言った。「卿は昔上庸王・呉王が皆才幹があると言っていたが、どうして亡国に至ったのか」琛が言った。「天命はどうしてただ二人でこれを改めることができるでしょうか」堅が言った。「卿は燕の美点を虚称し、かえって身に禍を招くことになったが智者と言えるだろうか」王猛が上表してこれを主簿・領記室督とした。
== 参考文献 ==
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