「實好礼忠」の版間の差分
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|国={{JPN}}
|誕生日={{生年月日と年齢|1972|10|19}}
|出身地=[[愛媛県]][[南宇和郡]]<ref name="G大阪071217">{{Cite press release|title=DF 實好礼忠選手が今シーズン限りでの引退を発表|url=http://www.gamba-osaka.net:80/news/newsrelease.php?pageID=2|publisher=ガンバ大阪|date=2007-11-24|accessdate=2018-07-25|archiveurl=http://web.archive.org/web/20071217152052/http://www.gamba-osaka.net:80/news/newsrelease.php?pageID=2|archivedate=2007-12-17}}</ref>
|身長=178cm
|体重=72kg
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|背番号=
|利き足=右足
|ユース年1= 1988-1990
|ユースクラブ1= [[愛媛県立南宇和高等学校|南宇和高校]]
|ユース年2= 1991-1994
|ユースクラブ2= [[立命館大学体育会サッカー部|立命館大学]]
|年1 = 1995-2007
|クラブ1 = [[ガンバ大阪]]
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|監督チーム2=ガンバ大阪U-23
}}
'''實好 礼忠'''(さねよし のりただ、[[1972年]][[10月19日]] - )は、[[愛媛県]][[南宇和郡]]出身の元[[プロフェッショナル (サッカー)|サッカー選手]]、サッカー指導者。現役時代の[[サッカーのポジション|ポジション]]は[[ディフェンダー (サッカー)|ディフェンダー]]。
== 来歴 ==
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[[愛媛県立南宇和高等学校|南宇和高校]]2年次に、[[第68回全国高等学校サッカー選手権大会]]で優勝。
入団1年目から安定したプレーを武器にレギュラーポジションを獲得。
順調にキャリアを重ねて、左サイドバックのポジションでレギュラーを獲得していた
2005年シーズン、4月16日の[[横浜F・マリノス]]戦にて213試合目にしてJリーグ初ゴールを記録。これは同年に[[桑原裕義]]によって更新されるまでフィールドプレーヤーとしては最も遅い初ゴールだった<ref>{{Wayback |url=http://www.sponichi.co.jp:80/osaka/socc/200504/17/socc179301.html |title=G大阪・実好、J史上最遅ゴール…頭で合わせた |date= 20060110184212}} スポニチアネックスOSAKA</ref><ref>{{Wayback |url=http://osaka.nikkansports.com:80/osc/p-ot-tp3-050822-0022.html |title=G大阪実好、磐田戦でベンチ復帰へ
|date=20060723195057 }} なにわWEB 大阪日刊スポーツ新聞社</ref>。同年にはリーグ戦24試合に出場し、チームのリーグ初優勝に貢献する。リーグ優勝直前の11月末にクラブから同シーズン限りでの契約満了を通達されていたが、3週間後に再契約を打診される<ref>{{Cite news|author=|title=G大阪実好、戦力外からUターン就職|newspaper=日刊スポーツ|publisher=|date=2005-12-17|url=http://osaka.nikkansports.com:80/osc/p-ot-tp3-051217-0009.html|accessdate=2018-07-25|archiveurl= http://web.archive.org/web/20081209040742/http://osaka.nikkansports.com:80/osc/p-ot-tp3-051217-0009.html|archivedate=2008-12-09}}</ref>。これは監督の[[西野朗]]の強い要望と、翌シーズンの[[AFCチャンピオンズリーグ|ACL]]への参戦によるガンバ大阪の試合数増加を考慮してのものだった。
2006年から2シーズン、チームキャプテン(主将)を任される<ref>{{Cite press release|title=2006年ガンバ大阪新体制発表!|url=https://www.jleague.jp/jsgoal_archive/official/detail.php?press_code=00028929 |publisher=ガンバ大阪|date=2006-01-28|accessdate=2018-07-25}}</ref><ref>{{Cite press release|title=ガンバ大阪 2007年度 チーム新体制 選手一覧|url=https://www.jleague.jp/jsgoal_archive/official/detail.php?press_code=00043756 |publisher=ガンバ大阪|date=2007-01-30|accessdate=2018-07-25}}</ref>。
=== 指導者として ===
引退後の翌年、2008年はガンバ大阪のユースチームのコーチに就任。2009年シーズンよりガンバ大阪のトップチームのコーチを務める。2011年度に[[
2016年、古巣のガンバに復帰しこの年新設されたガンバ大阪U-23の監督に就任。2017年よりユースの監督を務めていたが、2018年7月、トップチームの監督に就任する[[宮本恒靖]]の後任として再びU-23の監督に就任<ref>{{Cite press release|title=宮本 恒靖U-23監督 トップチーム監督就任、實好 礼忠ユース監督 U-23監督就任のお知らせ|url= http://www.gamba-osaka.net/news/index/no/8127/|publisher=ガンバ大阪|date=2018-07-23|accessdate=2018-07-25}}</ref>。
▲[[2012年]][[3月26日]]、[[ジョゼ・カルロス・セホーン|セホーン]]監督らが解任され、[[松波正信]]新監督体制下でトップチームのヘッドコーチに昇格した<ref>{{Cite news|url=http://www.gamba-osaka.net/news/news_detail.php?id=3816|title=ガンバ大阪 コーチングスタッフの解任ならびに新コーチングスタッフ体制の発表 ならびに強化本部長の辞任について|publisher=ガンバ大阪オフィシャルサイト|date=2012-03-26|accessdate=2012-03-26|archiveurl=https://web.archive.org/web/20130627125533/http://www.gamba-osaka.net/news/news_detail.php?id=3816|archivedate=2013年6月27日|deadlinkdate=2017年10月}}</ref>。
▲[[2013年]]シーズン終了後、ガンバ大阪を退団<ref>{{Cite news|url=http://www.gamba-osaka.net/news/news_detail.php?id=5421|title=ガンバ大阪コーチングスタッフ契約満了のお知らせ|publisher=ガンバ大阪オフィシャルサイト|date=2013-12-02|accessdate=2013-12-02}}</ref>。同年[[12月19日]]、[[名古屋グランパスエイト|名古屋グランパス]]のコーチに就任<ref>{{Cite news|url=http://nagoya-grampus.jp/information/pressrelease/2013/12192014-6.php|title=2014シーズントップチームコーチングスタッフのお知らせ|publisher=名古屋グランパスエイトオフィシャルサイト|date=2013-12-19|accessdate=2013-12-19}}</ref>。
== 所属クラブ ==
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