「宮崎県資産家拉致事件」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
7行目:
1994年3月27日夜、四女が父親である旅館経営者に睡眠薬[[フルニトラゼパム|サイレース]]1ミリリットル入りの茶を飲ませ<ref>[[#佐木1996|佐木1996]]、69頁。</ref>、[[井上嘉浩]]の手引きで[[東京都]][[中野区]]の[[オウム真理教附属医院]]に監禁した<ref name="s7374">[[#佐木1996|佐木1996]]、73頁-74頁。</ref>。オウム信者でない長女が異変に気づき、附属医院に急行したが、旅館経営者は[[山梨県]][[西八代郡]][[上九一色村]](当時、現在は[[南都留郡]][[富士河口湖町]])の[[サティアン]]に移された<ref name="s7374" />。その間、四女は旅館経営者の[[銀行]][[預金口座|口座]]から山林の支払い代金を引き出そうとするが、旅館経営者が事前に[[資産凍結|支払い停止措置]]を講じていたため失敗した<ref>[[#佐木1996|佐木1996]]、72頁。</ref>。
 
旅館経営者は約5ヶ月間監禁され、そのうちの3ヶ月間は第6サティアンで薬物を注入され続け、14キロ痩せて歩行困難になるほど衰えていた。教団は毒ガス攻撃を受けているので外は出られないと言われた。オウム真理教に帰依する振りをし、財産を[[布施]]する意向を示したことで[[8月21日]]にようやく解放された<ref>[[#佐木1996|佐木1996]]、73頁。</ref><ref>NHKスペシャル取材班「未解決事件 オウム真理教秘録」 p.136, 149</ref>。
 
[[9月26日]]、旅館経営者は自分を拉致した娘たちや教団の顧問弁護士である[[青山吉伸]]を[[告訴・告発|告訴]]した。会見には娘が乱入し「お父さーん、だまされないで!」「この人たちの説明は全部嘘です。」「オウムのおかげで病気は治ったじゃない!」と叫んでいた<ref>NHKスペシャル取材班「未解決事件 オウム真理教秘録」 p.128</ref><ref name="s7374" />。