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{{by|2017年}}、6月3日の対[[東北楽天ゴールデンイーグルス]]戦(ナゴヤドーム)で史上48人目の2000本安打を達成した。その際、入団当時の監督であった[[星野仙一]]楽天球団副会長兼シニアアドバイザー<ref>翌年1月4日に死去。</ref>と、1学年下で共に選手会長の経験がある[[森野将彦]]から花束を受け取った<ref name="sponichi20170603">[http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2017/06/03/kiji/20170603s00001173179000c.html 中日・荒木が2000安打達成 史上48人目 恩師星野氏の祝福に感極まる] スポーツニッポン 2017年6月3日</ref>。中日生え抜きの選手の達成は[[高木守道]]、[[谷沢健一]]、[[立浪和義]]に次いで史上4人目<ref name="sponichi20170603"/><ref>[[谷繁元信]]と[[和田一浩]]も中日で達成したが、前者は[[横浜DeNAベイスターズ|横浜大洋ホエールズ→横浜ベイスターズ]]、後者は[[埼玉西武ライオンズ|西武ライオンズ]]に在籍していたことから対象外とした。</ref>。なお、22年目での達成は[[中村紀洋]]に並び、25年目に達成した[[谷繁元信]]に次いで遅い。通算33本塁打は2000本安打達成者で最少になる。また、中日の選手では移籍してきた選手を含めても初めてホームゲームで2000本安打を達成したことになる。
 
{{by|2018年}}シーズンからは内野守備・走塁コーチ兼任となったものの<ref>{{cite news|url=http://www.sanspo.com/baseball/news/20171031/dra17103119470002-n1.html|title=中日が来季スタッフ発表…荒木、岩瀬がコーチ兼任| publisher=サンケイスポーツ|date=2017-10-31|accessdate=2018-03-17}}</ref>、セ・リーグのアグリーメント上ベンチ入りできるコーチ人数に限りがあることから、ペナント開始前である[[3月17日]]にコーチ職を解かれた<ref>{{cite news|url=http://www.hochi.co.jp/baseball/npb/20180316-OHT1T50216.html|title=【中日】岩瀬と荒木、コーチ職解かれる…NPB登録のみ「ベンチ8人枠」影響| publisher=スポーツ報知|date=2018-03-16|accessdate=2018-03-17}}</ref>。コーチ職は解かれたもののチーム内での役割は変わらない模様。9月27日、今季限りで引退することがメディアにおいて報じられた<ref>[https://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2018/09/27/kiji/20180927s00001173017000c.html 中日 投打の顔が引退へ 岩瀬「競ったところで投げてない」荒木は出場激減] - スポーツニッポン 2018年9月27日</ref>。10月6日、引退会見の場で正式に引退を表明した<ref>http://dragons.jp/news/2018/18100601.html</ref>。
 
== 選手としての特徴 ==
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2011年まで監督であった落合博満を尊敬しており、「監督に無理だと言われれば、いつでもユニフォームを脱ぐつもりだった」と発言している。その落合は「(荒木は)繊細でキレやすい。ボールの球をストライクと言われると、その日はもう全部打てない」と評している<ref>{{Cite web|url=http://www.asagei.com/3607|title=落合「中日のタブー暴露」講演会を実況中継(2)「選手の性格で指導を変えた」 - http://www.asagei.com/|language=日本語||work=sportsnavi.com|accessdate=2012年2月2日}}</ref>。
 
自身はプレイした経験こそないものの、ドラゴンズが[[ナゴヤ球場]]を一軍本拠地としていた時代のドラフト会議にて指名を受け、入団した選手としては最後に引退した選手であった。
 
== 詳細情報 ==