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1977年、紀伊半島全域を旅して風土を探るルポルタージュ『紀州 木の国 ・根の国物語』を[[朝日ジャーナル]]に連載する。この旅行は作家にとって自らの文学の背景である紀州熊野というトポスを再発見する機会であった。
 
以後「路地」や紀伊半島を舞台として、実母をモデルにした『岬』の前日譚にあたる『鳳仙花』(1980年)や、「淫蕩な歌舞音曲好きの澱んだ血」<ref>ラプラタ綺譚『千年の愉楽』</ref>筋により愉楽に満ちた生を送り、一方で引き換えに早死にも宿命づけられた、高貴な血を引く若者たちの短い生涯を描いた、短編連作『[[千年の愉楽]]』(1982年)と長編『[[奇蹟 (小説)|奇蹟]]』(1989年)などを発表していく。
 
『枯木灘』の続編にあたる『地の果て 至上の時』(1983年)では地区改良事業による「路地」の消滅が主題とされ、その後の長編『日輪の翼』(1984年)『讃歌』(1990年)においては「路地」消滅後に流浪する若者の姿が描かれた。「路地」を描いた最後の短編連作『重力の都』(1988年)は[[谷崎潤一郎]] {{Refnest|group="注釈"|谷崎は中上が最も畏敬した作家の一人である。80年代に刊行された谷崎潤一郎全集のパンフレットに「大谷崎讃」として次の文章を載せている。ここからは中上の谷崎への想いのみならず中上自身の文学観も窺い知ることができる。「王朝と江戸と文明開化から分けへだてなく滋養を吸い 、言葉の一語一語にたっぷりと血をたくわえた文章 。かつて三島由紀夫が言ったように彼は大谷崎でなければならぬ 。桜の幻のふく郁たる香 、物語の自転運動 、なににもまして輪舞する物語それ自体 、それが現代文学の最先端でありながら 、現代文学をくつがえす意志を語りかける 。まんえんする貧血の現代文学を蔑視せよ 。物語の毒と物語の愉悦が汲めども尽きぬ泉としてここにある 。」『谷崎潤一郎文学案内』千葉俊二編 所収。}}への「心からの和讃」 <ref>あとがき『重力の都』所収</ref>であるとしている。