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'''土岐 頼潤'''(とき よりみつ)は、[[上野国|上野]][[沼田藩]]の第8代藩主。沼田藩[[土岐家]]11代。
== 生涯 ==
天明8年(1788年)5月28日、[[備後国|備後]][[備後福山藩|福山藩]]主[[阿部正倫]]の五男として江戸で生まれる。[[文化 (元号)|文化]]10年([[1813年]])3月19日、先代藩主の[[土岐頼布]]の養子となる。同年5月15日、将軍[[徳川家斉]]に拝謁する。同年7月8日、頼布の隠居により家督を継いだ。同年12月16日、従五位下山城守に叙任する。文政6年(1823年)5月29日、[[奏者番]]となる。藩政では農村復興や「間引き禁止の触書」などを制定するなど改革を行ったが、効果はなかった。文政9年(1826年)、39歳で死去し、跡を養嗣子の[[土岐頼功|頼功]]が継いだ。
{{沼田藩主|土岐氏|8代|1813年 - 1826年}}
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[[Category:沼田藩主]]
[[Category:譜代大名]]
[[Category:明智土岐
[[Category:阿部備中守家]]
[[Category:備後福山藩の人物]]
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