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'''暉子内親王'''(きしないしんのう、[[安貞]]2年([[1228年]]) - [[正安]]2年[[5月3日 (旧暦)|5月3日]]([[1300年]][[5月22日]]))は、[[鎌倉時代]]前期から後期にかけての[[皇族]]。[[後堀河天皇]]の第一皇女で、母は[[持明院家行]]の娘(『女院小伝』)、異説に[[九条しゅん子|九条竴子]](『[[本朝皇胤紹運録]]』)。幼名は持明院宮。女院号は'''室町院'''。
 
歴代の女院中、不婚で后妃<ref>中世においては、天皇もしくは太上天皇(上皇)と婚姻することなく皇后の称号を与えられた内親王の例(非妻皇后・尊称皇后)が存在する。</ref>にも[[准母]]にもならなかった内親王が女院とされた唯一の例である<ref>田中文英「室町院」『日本歴史大事典 3』</ref>。