「セルギウス1世 (ローマ教皇)」の版間の差分
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[[ラヴェンナ総督]]は最初は承認を渋ったが、セルギウスは対立教皇のパスカリスが約束した賄賂を支払うことで承認を得た。しかし[[東ローマ皇帝]]である[[ユスティニアノス2世]]は全教会の支配を企み、[[692年]]に[[コンスタンディヌーポリ総主教庁|コンスタンティノープル総主教]]の主導で行なわれた[[トゥルロの公会議]]で決定された条項に署名するよう命令する。これは聖職者の結婚を不許可とし、キリスト教会は東を主とするものであった。しかしセルギウス1世はこれを拒絶し、聖職者の結婚を認めるという報復に出た。
怒った皇帝は、[[ザカリアス]]{{要曖昧さ回避|date=2019年8月}}に軍隊を送って圧力をかけるが、ラヴェンナ総督の裏切りで失敗した。しかも[[695年]]には[[レオンティオス]]のクーデターでユスティニアノス2世が廃されたため、対立は解消された。
以後は礼典の改革、[[サン・ピエトロ大聖堂]]の修復に努めた。701年9月8日に死去。
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