「中ソ友好同盟相互援助条約」の版間の差分

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6月25日に始まった[[朝鮮戦争]]でこの条約はソ連が米国との全面衝突を避けるために中国を介して[[朝鮮民主主義人民共和国]]を間接的に支援する根拠に利用され<ref>李榮薫『大韓民国の物語』 p. 291 文藝春秋、2009年2月 ISBN 4163703101</ref>、スターリン死後の[[1961年]]7月にも両国はそろって北朝鮮と[[中朝友好協力相互援助条約]]、[[ソ朝友好協力相互援助条約]]を締結し、3カ国でさらに緊密な同盟になると考えられたが、直後に表面化した[[中ソ対立]]によって条約は形骸化した。
 
その後もこの条約は有効であったが、中国は[[1979年]]2月16日に[[中国共産党中央委員会副主席]]の[[鄧小平]]は[[中越戦争]]を開するとともに[[ベトナム]]を[[カンボジア]]から撤退させ、[[アフガニスタン]]と[[モンゴル人民共和国]]からソ連が撤退しない限り条約を更新しないことを表明し<ref>Joseph Y.S. Cheng "Challenges to China's Russian Policy in Early 21st Century." in: Journal of Contemporary Asia, Volume: 34 Issue: 4 (November 1, 2004), p 481</ref>、同年4月3日に第5期全人代常委第7回会議において不延長を決定し<ref>[http://www.npc.gov.cn/npc/cwhhy/content_5914.htm 第五届全国人民代表大会常務委員会第七次会議簡况] {{Zh icon}}</ref>、同日に[[黄華]]外相が{{仮リンク|シチェルバコフ|ru|Щербаков,_Илья_Сергеевич}}中国駐在ソ連大使にこの決定を通告した<ref>「[http://d-arch.ide.go.jp/browse/html/1979/602/1979602DIA.html 1979年 ソ連重要日誌]」『アジア動向データベース』</ref>。翌[[1980年]]4月11日に条約は期限を迎え、失効した。
 
== 脚注 ==