削除された内容 追加された内容
33行目:
天保13年8月17日(1842年9月21日)、[[土佐国]]宿毛に安東家の家臣・[[岩村英俊]]の二男として生まれる。幼年期に林茂次平の養子になる。兄に[[岩村通俊]]、弟は[[岩村高俊]]である。[[板垣退助]]の配下として[[戊辰戦争]]では、[[越後国]]に転戦し、[[明治維新]]後は、初代の[[高知県|高知]][[県令]]([[参事]])をつとめるが、板垣が[[参議]]を辞任したのに合わせて辞職<ref>{{Cite book|和書|author=徳富蘇峰|year=1980|title=近世日本国民史 西南の役(三)|publisher=講談社学術文庫|pages=28p}}</ref>。[[西南戦争]]に呼応して[[明治]]10年([[1877年]])8月、土佐で政府転覆を企て挙兵しようとし、逮捕、入獄する。([[立志社の獄]])
 
出獄後、板垣に協力して[[自由党 (日本 1890-1898)|自由党]]結成に尽力する。[[自由党土佐派]]の領袖として党内に影響力を持つ<ref>{{Cite book|和書|author=鳥谷部春汀|year=1899|title=明治人物評論・正|publisher=博文館|pages=241p}}</ref>。明治23年([[1890年]])、[[第1回衆議院議員総選挙]]に立候補し当選し、以後8回当選。明治31年([[1898年]])、[[第1次大隈内閣]](隈板内閣)で逓信大臣を勤めた。また、明治33年([[1900年]])には[[第4次伊藤内閣]]の農商務大臣として入閣した。明治41年(1908年)、政界を引退。余生を郷里の宿毛で送る<ref>宿毛市中心部にある旧林邸宅は改修され、2019年春から「宿毛まちのえき 林邸」で運営。</ref>
 
大正3年([[1914年]])、日本の[[飛行機]]製作のパイオニアである同郷の[[伊賀氏広]]の世話のもと、予土水産株式会社を設立、[[真珠]]養殖業を起こす。また、林新田、片島港を開発するなど故郷の発展に尽力した。