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===ソ連・モンゴル===
{{main|ノモンハン事件|シベリア抑留}}
[[ファイル:Shouichi yokoi.jpg|サムネイル|187x187ピクセル]]
上記の太平洋戦争における[[日本の敗戦]]に伴い発生した事例とは異なり、[[ソビエト連邦]]や[[モンゴル人民共和国]]には太平洋戦争勃発以前から「残留日本兵」が存在していた。その殆どはノモンハン事件の際に捕虜となり、共産主義に[[転向]]したり、現地のロシア人女性と結婚するなどして、共産圏の民として生きる事を決意したものたちであった<ref>林、2012年、221-233頁。</ref>。シベリア抑留の折に、少なからぬ抑留日本兵がこうした残留日本兵に遭遇しており、抑留日本兵の中からも共産主義に転向してそのまま現地に残留するものも現れ<ref>林、2012年、224頁。</ref>、最終的に約800名が残留日本兵となった。
 
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== 主な残留日本兵一覧 ==
*[[ファイル:赤津勇一.jpg|サムネイル|172x172ピクセル]][[大場栄]](陸軍大尉、1945年12月1日までサイパン島タッポーチョ山にて180名ほどの将兵、民間人を連れて潜伏していた)
*[[井川省]]([[陸軍少佐]]、[[1946年]]、[[ベトナム独立戦争]]において[[戦死]])
*[[石井卓雄]]([[陸軍少佐]]、[[クァンガイ軍政学校]]、[[トイホア陸軍士官学校]]教官、[[1950年]]、[[ベトナム独立戦争]]において[[戦死]])
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*[[田中清明]]、[[橋本恵之]]([[1989年]]まで[[マラヤ共産党]][[ゲリラ]]に参加。[[1990年]]帰国)
*[[石田東四郎]]([[中国]]残留。[[1993年]]帰国)
*[[ファイル:Kozuka kinshichi.jpg|サムネイル|171x171ピクセル]][[上野石之助]]([[樺太]]残留後、ウクライナに定住。[[2006年]]に一時帰国)
 
== 出典 ==