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== 沿革 ==
施設の位置する[[康生通西]]4丁目の一角の変遷は次のとおりである。明治期よりこの地には尋常小学連尺学校(現・[[岡崎市立連尺小学校]])があった。1966年(昭和41年)、連尺小学校は現在の[[城北町 (岡崎市)|城北町]]に移転<ref>[http://www.city.okazaki.lg.jp/100th/topics/p020876_d/fil/06renjaku.pdf 連尺学区 | 岡崎まちものがたり学区ページ | 岡崎市 市制100周年記念サイト]</ref>。
[[1968年]](昭和43年)[[6月27日]]、学校跡地に総合レクリエーション施設「岡崎スポーツガーデン」がオープンした<ref>『[[東海愛知新聞|愛知新聞]]』1968年6月20日、1面、「岡崎スポーツガーデン 町の新名所誕生 ボウリング場は九月の予定」。</ref><ref>『愛知新聞』1968年6月28日、1面、「流水プール盛大に開場 岡崎市 市長も元気に初すべり」。</ref>。まず流水プール兼[[スケートリンク]]が作られ、10月1日には3階建てのボウリング本館が建設された。ボウリング本館は1階が駐車場、2階がボウリング場、3階が市民体育館であった<ref>『[[東海愛知新聞|東海新聞]]』1968年10月2日、1面、「西三河最大の娯楽施設に 体育館、ボウリング場開く 岡崎スポーツガーデン」。</ref>。
[[1971年]](昭和46年)[[6月30日]]、[[岡崎市役所]]本庁舎(現在の西庁舎)の東側の土地3,110m<sup>2</sup>(現在、福祉会館、東庁舎があるところ)を所有する[[東武運輸|東武急行運輸]]が、同地に3階建てのボウリング場を建設するとのの建築確認申請を提出<ref>{{Cite book|和書
|author =
|year = 1992-10-22
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|publisher = 岡崎市議会史編纂委員会
|page = 418
}}</ref>。市役所の新しい駐車場の整備を考えてた岡崎市は、康生通西のボウリング本館と市役所東側の土地の交換売買の話を同社にもちかけ、[[1972年]]
[[1999年]](平成11年)[[2月22日]]に[[岡崎郵便局]]が戸崎町へ移転。市は郵便局の用地3,330平方メートルを購入<ref>岡崎市議会議事録 平成11年6月定例会 - 06月11日 - 10号。</ref>。建物を壊して更地にし、当面イベント広場として利用する計画を提示した<ref>岡崎市議会議事録 平成12年3月定例会 - 03月02日 - 02号。</ref>。
2000年(平成12年)初めに開かれた市議会全員協議会で、市は、江戸時代風の施設を建設すると計画を変更。本会議に計画が提出されなかったことを市議が指摘すると、[[中根鎭夫]]市長は「知らせない方がよかったな」と発言し物議を醸した<ref>岡崎市議会議事録 平成12年3月定例会 - 03月23日 - 07号。</ref><ref>岡崎市議会議事録 平成12年6月定例会 - 06月05日 - 08号。</ref>。市は当初予算を審議する3月議会にかけずに事業を興し、中心市街地活性化基本計画が具体化するまでのつなぎ事業として建設を開始した。事業費は6月議会の補正予算で組まれた<ref name="shigikai20010906">岡崎市議会議事録 平成13年9月定例会 - 09月06日 - 17号。</ref>。同年7月22日に商業施設「岡崎城下三河小町」がオープン<ref name="shigikai20010322">岡崎市議会議事録 平成13年3月定例会 - 03月22日 - 07号。</ref>。建設費は1億6,500万円<ref>『中日新聞』2002年8月30日付朝刊、西三河版、28面、「『三河小町』の閉鎖 検証求める意見書 岡崎市長に市民団体」。</ref>。
岡崎城下三河小町(略称:三河小町)は、同年に放送された[[NHK大河ドラマ]]『[[葵 徳川三代]]』を利用した町おこしにと、市の主導で昔の街並みを模して建てられた。岡崎市の特産品などを販売する店舗が軒を連ねていた。建物の運営管理は、市の100%出資の子会社であり、岡崎市美術博物館のレストランの運営を任されていた株式会社アイエヌジーサービスが行った<ref>岡崎市議会議事録 平成12年6月厚生経済常任委員会 - 06月15日 - 01号。</ref>。
同年9月10日、岡崎市長選挙が執行される。6選を目指す現職の中根鎭夫を前県議の柴田紘一が破り、初当選した。
前市長の思惑どおりに来訪者は増えず、柴田市長は[[2001年]](平成13年)9月6日開催の市議会で「責任をとれというなら、私は一日も早く閉めることが責任をとる一番大事なことだと思っている」と発言した<ref name="shigikai20010906" />。
その一方で、手狭となった明大寺町の[[岡崎市立中央図書館|岡崎市立図書館]]([[2006年]]の[[額田町]]合併により「岡崎市立中央図書館」に改称)の移転する計画が持ち上がり、2001年2月7日に岡崎市議会に新図書館建設特別委員会が設置され、移転先が議論されていた。当初は、[[岡崎公園 (岡崎市)|岡崎公園]]のグランド跡地が最も適当と判断されたが、調査で石垣などの[[岡崎城]]の遺構が発掘され保存の必要が発生したことから、断念した。そこで、康生通西地区が移転先として有力視されるようになった。2001年8月13日に開かれた特別委員会で、建設場所を康生通西地区とする市の提案が了承された<ref>『中日新聞』2001年8月14日、西三河版西三河、16面。</ref>。
建設費用やイベント委託料で2億5千万円あまりを投入した「三河小町」<ref>『中日新聞』2001年12月28日付朝刊、西三河版、14面、「1年半で閉鎖の三河小町その後 『市の責任は』 怒る出店者」。</ref>は[[2002年]]1月に閉鎖となり、1年半で姿を消した<ref>{{Cite web |date=2009-8-9 |url=http://okazakikeikan.boo-log.com/e60145.html |title=岡崎いいとこ風景ブログ : 三河小町 |publisher=岡崎市都市計画課 |accessdate=2018-5-6 }}</ref>。このほか、[[2003年]](平成15年)[[8月31日]]に「岡崎スポーツガーデン」が閉鎖された<ref>『中日新聞』2003年7月8日付朝刊、西三河総合、15面、「夏の思い出 今年で終わる岡崎市スポーツガーデン 来月は無料開放 流水プール取り壊しへ」。</ref>。岡崎市城北保育園も[[八帖北町]]に移転した。[[2006年]]
[[2008年]]
== 施設 ==
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