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| 製作 = [[大川博]]
| 製作総指揮 =
| ナレーター = [[芥川隆行]]
| 出演者 = [[鶴田浩二]]<br />[[松方弘樹]]<br />[[千葉真一]]<br />[[梅宮辰夫]]<br />[[里見浩太郎]]<br />[[伊丹十三]]<br />[[佐久間良子]]
| 音楽 = [[木下忠司]]
== 概要 ==
1967年製作の『[[あゝ同期の桜]]』の姉妹篇で<ref name="週刊明星19671120">{{Cite journal |和書 |author = |title = ポスト 日本映画 『丸坊主の松方弘樹が人間魚雷"回天"で玉砕!』 |journal = [[週刊明星]] |issue = 1967年11月20日号 | publisher = [[集英社]] |pages = 92 }}</ref><ref>{{Cite web|url=http://db.eiren.org/contents/03000009665.html|title=人間魚雷 あゝ回天特別攻撃隊|publisher=[[日本映画製作者連盟]]|accessdate=2019-8-18}}</ref>、東映オールスターで描く「東映戦記映画三部作」の二作目<ref name="月刊平凡196807">{{Cite journal |和書 |author = |title = 6月のスクリーン・ガイド 日映コーナー 19歳の若いつぼみは恋人と涙の別れをつげて南の大空に散った… 『あゝ予科練』|journal = 月刊平凡 |issue = 1968年7月号 |publisher = [[マガジンハウス|平凡出版]] |pages = 222 – 223頁 }}</ref>。『あゝ同期の桜』が[[大日本帝国海軍]]の「[[特別攻撃隊|航空特攻]]」である[[神風特別攻撃隊|神風特攻隊]]を題材にしているのに対し、本作は同じ[[大日本帝国海軍|旧日本海軍]]による「[[特別攻撃隊|水中特攻]]」の一つである[[人間魚雷]][[回天]]を題材としている<ref>[https://www.toei-video.co.jp/catalog/dutd02477/ 人間魚雷 あゝ回天特別攻撃隊 | 東映ビデオ]</ref>。1968年の東映正月映画(後半)として公開された。
== キャスト ==
== 製作 ==
=== 演出 ===
監督の[[小沢茂弘]]はかつての[[学徒出陣|学徒兵]]だけに「私は戦場で友人たちの死を目の当たりに見た。彼らの純粋な至情をホットな目で見、クールに描きたい。従ってこのドラマの中には[[反戦運動|反戦思想]]の人物は登場しない」などと息巻いた<ref name="週刊読売19671229">{{Cite journal |和書 |author = |title = 芸能 雑音雑記 『鶴田浩二海軍予備学生』 |journal = [[週刊読売]] |issue = 1967年12月29日号 |publisher = [[読売新聞社]] |pages = 52 – 52頁 }}</ref>。
=== 脚本 ===
=== キャスティング ===
主演は戦争ドラマに異常な執念を燃やす[[鶴田浩二]]<ref name="週刊明星19671120"/>。「お国のために潔く死んでいった青年たちの純真な気持ちを考えると撮影中も涙がこぼれて仕方がありませんでした」<ref name="近映196802">{{Cite journal |和書 |author = |title = SCREEN GUIDE 新春映画ガイド 喜劇・文芸作・アクションと多彩なラインアップの正月映画 |journal = 近代映画 |issue = 1968年2月号 |publisher = [[近代映画社]] |pages = 160 – 161頁 }}</ref>「私も[[太平洋戦争]]末期には、空と海の違いこそあれ、その極限に於いて死を覚悟していた一人です。映画を是非、[[靖国神社]]で奉納試写したい」などと話した<ref name="週刊読売19671229"/>。鶴田他、当時の東映オールスターが総出演した<ref name="週刊明星19671120"/>。[[高倉健]]もキャスティングされていたが<ref name="近映196802"/><ref name="週刊平凡196710_12">{{Cite journal |和書 |author = |title = タイム 映画&演劇 『しのぎをけずる"三大親分衆" "東映やくざ路線"の鶴田、高倉、安藤のギャラは?』 |journal = [[週刊平凡]] |issue = 1967年10月12日号 |publisher = 平凡出版 |pages = 49頁 }}{{Cite journal |和書 |author = |title = タイム 映画&演劇 『しのぎをけずる"三大親分衆" "東映やくざ路線"の鶴田、高倉、安藤のギャラは?』 |journal = 週刊平凡 |issue = 1967年10月12日号 |publisher = 平凡出版 |pages = 49頁 }}</ref>、[[ギャランティー|ギャラ]]アップの要求が東映に通らず<ref name="週刊平凡196710_12"/>、1964年から1967年秋まで東映とは無契約のままで<ref name="週刊平凡196710_12"/><ref name="週刊現代19670323">{{Cite journal |和書 |author = |title = げいのう ルック 『高倉健を刺激した安藤昇の成功自社スターをハッスルさせたうまい商法』 |journal = [[週刊現代]] |issue = 1967年3月23日号 |publisher = [[講談社]] |pages = 26頁 }}</ref>、鶴田浩二の契約条件年間6本の出演で2000万円(+6本以上はギャラ+アルファ)を越える1本500万円を要求<ref name="週刊平凡196710_12"/><ref name="週刊現代19670323"/><ref>{{Cite journal |和書 |author = |title = 芸能人事録 |journal = [[SPA!|週刊サンケイ]] |issue = 1967年5月8日号 |publisher = [[産業経済新聞社]] |pages = 109頁 }}</ref>。このギャラ闘争がこじれたまま棚上げされており<ref name="週刊現代19670323"/>、1967年秋になって東映が折れ、1本450万円で契約が成立したとされるが<ref name="週刊平凡196710_12"/>、[[ヤクザ映画]]ばかりやらされることへ不満を表明していたのにまたヤクザ映画を企画されたことに腹を立て<ref name="週刊平凡196710_12"/>、鶴田や[[松方弘樹]]のお付き合いのようなオファーに本作出演を土壇場でキャンセルした<ref name="近映196802"/><ref name="週刊平凡196710_12"/>。既に高倉の名前を刷り込んだ[[ポスター]]も製作中で損害が出た<ref name="週刊平凡196710_12"/>。
=== 美術・回天の製作 ===
製作当時の文献には[[回天]]は現物が全く残っていないと書かれており<ref name="週刊明星19671120"/>、[[東映京都撮影所]]で20人による東映美術班が編成され一ヶ月で全長15メートル、直径1メートルの木製と鉄製の回天8つの模型を300万円かけて製作<ref name="週刊明星19671120"/><ref name="月刊明星196802">{{Cite journal |和書 |author = |title = 1月の映画コーナー ロケだより『あゝ回天特別攻撃隊』 がんばれェ!みぞれをついて特訓撮影! |journal = [[Myojo|月刊明星]] |issue = 1968年2月号 |publisher = 集英社 |pages = 212 – 213頁 }}</ref><ref>{{Cite journal |和書 |author = |title = スプ―トニック情報 ただいま出番です『これがホントのミリタリー・ルック 必殺の兵器・人間魚雷で体当たり!山田太郎さん』 |journal = 近代映画 |issue = 1968年2月号 |publisher = 近代映画社 |pages = 141頁 }}</ref><ref name="サンデー毎日19671231">{{Cite journal |和書 |author = |title = 百万円の人間魚雷使用後は江田島へ |journal = [[サンデー毎日]] |issue = 1967年12月31日号 |publisher = 毎日新聞社 |pages = 37頁 }}</ref>。一つを[[広島県]][[江田島]]に搬送し撮影に使用した<ref name="週刊平凡19671214">{{Cite journal |和書 |author = |title = タイム 映画&演劇 『鶴田浩二がアワヤ溺死』 |journal = 週刊平凡 |issue = 1967年12月14日号 |publisher = 平凡出版 |pages = 49頁 }}</ref>。[[ミニチュア]]は使用していない<ref name="キネ旬19680101">{{Cite journal |和書 |author = |title = 日本映画紹介『人間魚雷 あゝ回天特別攻撃隊』/撮影所 |journal = キネマ旬報 |issue = 1968年1月上旬号 | publisher = キネマ旬報社 |pages = 104 – 106頁 }}</ref>。撮影終了後に鉄製の回天を[[靖国神社]]を始め、引き取りたいという希望が殺到し<ref name="サンデー毎日19671231"/>、江田島の[[海上自衛隊第1術科学校]]に寄贈されたとされる<ref name="サンデー毎日19671231"/>。
=== ロケ ===
撮影は東映京都撮影所の他、戦時中の魚雷基地だった[[山口県]][[大津島]]をはじめ<ref name="週刊明星19671120"/>、[[広島県]][[江田島]]<ref name="週刊明星19671120"/>(1967年11月3日から)<ref name="キネ旬19680101"/>、[[呉市]]<ref name="週刊明星19671120"/>、[[京都府]][[京都市]]<ref name="月刊明星196802">{{Cite journal |和書 |author = |title = 1月の映画コーナー ロケだより『あゝ回天特別攻撃隊』 がんばれェ!みぞれをついて特訓撮影! |journal = [[Myojo|月刊明星]] |issue = 1968年2月号 |publisher = 集英社 |pages = 212 – 213頁 }}</ref>、[[舞鶴市]]で[[ロケーション撮影|ロケ]]を敢行<ref name="週刊明星19671120"/>。[[潜水艦]]にカメラを持ち込んでの水中撮影の他<ref name="週刊明星19671120"/>、[[滋賀県]][[琵琶湖]]に重量4トンの[[魚雷]]を沈めての撮影が行われた<ref name="週刊明星19671120"/>。江田島、呉ロケでは[[海上自衛隊]]の協力で本物の潜水艦四隻が撮影に協力した<ref name="キネ旬19680101"/>。江田島ロケ中、鶴田が海に落ち、寒い時期であわやの場面があった<ref name="週刊平凡19671214"/>。
=== 製作費 ===
== 影響 ==
1972年に『[[仁義なき戦い]]』の[[ロケーション・ハンティング#種類|シナハン]]で、本作の[[映画プロデューサー|プロデューサー]]・日下部五朗が、[[笠原和夫 (脚本家)|笠原和夫]]と一緒に[[広島県]][[呉市]]の街を丹念に歩き、襲撃の現場などを取材した<ref name="シネマの極道">{{Cite book | |和書 |author = 日下部五朗 |title = シネマの極道 映画プロデューサー一代 |publisher = [[新潮社]] | year = 2012 | id = ISBN 9784103332312 |pages = 82 - 85頁 }}</ref><ref name="映画はやくざなり">{{Cite book |和書 |author = [[笠原和夫 (脚本家)|笠原和夫]] |title = 映画はやくざなり |publisher = 新潮社 | year = 2003 | id = ISBN 9784104609017 |pages = 59 - 63 }}</ref>。[[美能幸三]]に会って話を聞きたかったが、当時はまだ[[広島抗争]]は燻っていて、美能の当時の立場が分からず、暴力団事務所や警察にも訊きにくかった<ref name="シネマの極道"/>。途方に暮れていると本作の江田島ロケで、日下部が呉の[[スナックバー (飲食店)|スナック]]蘭で飲んだことを思い出し、藁をも掴む思いでママに美能の話をしたら、ママが「美能さんはウチの常連だからよう知っとるわ。あたしにまかしんさい」とアッサリ連絡が付き、美能に直接取材することができ、笠原は美能から聞いたリアルなエピソードを脚本に活した<ref name="シネマの極道"/><ref name="映画はやくざなり"/><ref>[https://archive.fo/tXc8Y 山守さん、弾はまだまだ残っとるがよう……映画「仁義なき戦い」: 新おとな総研 旅 名言巡礼 広島県呉市- 読売新聞](Internet Archive)</ref>。
== 逸話 ==
== 同時上映 ==
『[[喜劇初詣列車]]』
*主演:[[渥美清]] / 監督:[[瀬川昌治]] / 脚本:[[舟橋和郎]]
*『喜劇列車』シリーズ第3作。
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[[Category:1968年の映画]]
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