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==反響==
本作品は出版当時、アメリカ全土に絶大な影響を及ぼし、作品内に描かれた小作人、地主、移動労働者、資本家、行政当局といった人々がその真相を伝えているかどうかを巡って全米で論争が起こった。作品の舞台となったオクラホマ州とカリフォルニア州においては擁護する声よりも非難する怒号が圧倒的に大きかった<ref>野崎孝訳『怒りの葡萄』解説p.520</ref>。オクラホマ州では多くの図書館で『怒りの葡萄』が禁書扱いとなり、地元選国会連邦議員により「オクラホマの小作人は他の土地の小作人に勝るとも劣らぬ立派な頭脳と心情を持っている。この本はねじくれて歪んだ精神が生んだ黒い悪魔の書だ」といった弾劾演説が行われた<ref>野崎孝訳『怒りの葡萄』解説p.520</ref>。
初版は50万部を超えて『[[風と共に去りぬ]]』の次に売れたといわれ、社会的反響の大きさは1852年に出版された[[ハリエット・ビーチャー・ストウ]]の『[[アンクル・トムの小屋]]』以来と言われている<ref>野崎孝訳『怒りの葡萄』解説p.521</ref>。
 
保守層からは目の敵にされ、カリフォルニア州では出版から二か月後には反論パンフレット「喜びの葡萄- ―ジョン・スタインベックの『怒りの葡萄』に対するカリフォルニアの清新溌溂たる回答」が出版された<ref>野崎孝訳『怒りの葡萄』解説p.520</ref>。
一方で記述の正確さを擁護する声も少なくなく、社会学者や聖職者、行政府の役人といった様々な階層の人間が作品内の出来事を事実として証言している<ref>野崎孝訳『怒りの葡萄』解説p.520</ref>。また、映画『怒りの葡萄』の製作に先立ち、[[ダリル・F・ザナック]]が私立[[探偵]]をオクラホマ州に派遣して調査させたところ、事実は小説以上に酷かったとのエピソードもあった<ref>野崎孝訳『怒りの葡萄』解説p.520</ref>。
 
発表翌年の[[1940年]]には[[ジョン・フォード]]監督、[[ヘンリー・フォンダ]]主演により映画化され、[[ニューヨーク映画批評家協会賞]]の作品賞、監督賞、また[[アカデミー賞]]の[[アカデミー監督賞|監督賞]]、[[アカデミー助演女優賞|助演女優賞]]([[ジェーン・ダーウェル]])を受賞している。詳細については『[[怒りの葡萄 (映画)]]』を参照。