「見沼代用水」の版間の差分
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[[画像:minumadaiyousui.jpg|thumb|right|180px|現在の用水(東縁)。さいたま市見沼区[[東宮下]]の梅ノ木橋付近。]]
[[ファイル:Saitama Minuma Canal In Saitama Green Trust 1.JPG|thumb|right|180px|さいたま緑のトラスト地を流れる見沼代用水(東縁)。]]
太平洋戦争後、用水路の近代化が進んだ。まず用水の取り込み口には、[[1963年]](昭和38年)に利根大堰が作られ、取水流量が正確に管理できるようになった。代用水路も、[[1979年]](昭和54年)から水資源開発公団(現・独立行政法人[[水資源機構]])などにより開始された'''埼玉合口二期事業'''によって、護岸と路底のコンクリート化(東縁代用水路のうち、さいたま市[[緑区 (さいたま市)|緑区]]の南部領辻地内の斜面林がある区間に関しては、「[[さいたま緑のトラスト協会|さいたま緑のトラスト基金]]」による保全第1号地として、コンクリート化を実施していない)や、遊歩道「[[緑のヘルシーロード]]」の整備などが進められた。
[[1989年]](平成元年)には、西縁代用水路より[[荒川 (関東)|荒川]]へ送水する「荒川連絡水道専用水路」(約9.1 kmの地下トンネル)が完成して、水道用水の取水が開始された。この水路は、さいたま市[[大宮区]]に「天沼揚水機場」を設置して、ここからさいたま市[[西区 (さいたま市)|西区]]の荒川へ水を送るもので、[[武蔵水路]]を補完する役割を果たすものとなった。
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