「キリスト教民主フラームス」の版間の差分

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キリスト教民主フラームス(CD-V)の起源は、1884年に成立した{{仮リンク|カトリック党|en|Catholic Party (Belgium)}}である。その後、1921年にはカトリック連合''Katholieke Verbond''、1936年にはカトリック・ブロック''Katholiek Blok''と党名を改称した<ref name="deschouwer">Kris Deschouwer(2012).'The Politics of Belgium (2nd edition)'. Palgrave Macmillan. pp.80-81</ref>。これらのカトリック政党は自由党、労働党と三大政党制を形成した。
 
第二次世界大戦後、1945年に後継政党として{{仮リンク|キリスト教社会党|en|Christian Social Party (Belgium, defunct)}}(PSC-CVP)が結成された。PSC-CVPは1954-1958年のファン・アッケル内閣を除く大半の政権で与党として中心的な役割を担ったが<ref name="hino">日野愛郎 「政党政治のダイナミズム」 津田由美子ほか(編著)『現代ベルギー政治』ミネルヴァ書房 2018 pp.66-67</ref>、[[フランデレン地域]]・オランダ語系と[[ワロン地域]]・フランス語系との間の地域・言語間対立が高まる中で、1968年にオランダ語系の'''キリスト教人民党'''(CVP)とフランス語系の'''キリスト教社会党'''(PSC 現在の[[民主人道主義中道派]])に分裂した。
 
分裂後のCVPは、フランデレン地域の第1党として引き続き連立政権の中心となり、ティンデマンス(在任1974-1978)、マルテンス(在任1979-1981,1981-1992)、[[ジャン=リュック・デハーネ|デハーネ]](在任1992-1999)らが首相を務めた。しかし、1999年の選挙で議席を大きく減らし、野党になった。これを機に党の改革が進められ、2001年には党名を現在の'''キリスト教民主フラームス'''(CD-V)に変更した。CD&Vは、伝統的な支持基盤であるキリスト教系の労働組合などに加えて、フランデレンの地域主義運動からも支持を得ようと努めた<ref name="hino"></ref>。
 
{{仮リンク|2007年の総選挙|en|Belgian general election, 2010}}には下院である代議院では150議席のうち30議席を中道右派の地域政党である[[新フラームス同盟]](N-VA)との統一会派で獲得し、上院である元老院では71議席(王族を含まない)のうち14議席をN-VAとの統一会派で占め、上下両院で第1勢力となった。
 
選挙後の連立交渉は難航し、約9か月後の2008年3月にCD&Vの[[イヴ・ルテルム]]を首相とする連立内閣が成立した。これによりCD&Vは与党に復帰した。
 
{{仮リンク|2010年の総選挙|en|Belgian general election, 2010}}には単独で参加し、代議院で17議席を獲得して第4党となった。しかし第1党となったN-VAが[[与党]]に加わらないとしたため、各党は[[連立政権]]を{{仮リンク|なかなか形成できず|en|2010–2011 Belgian government formation}}、[[社会党 (ベルギー・ワロン地域)]]から[[党首]]の[[エリオ・ディルポ]]が[[ベルギーの首相|首相]]となるまで、535日を要した。CD&Vはディルポ政権に参加した。