「三遊亭圓歌 (3代目)」の版間の差分

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なお、入門した詳細な時期については不明。自伝及び落語では1945年9月1日とあるが、実際はこれよりもっと遅くに入門したといわれる。
 
[[19481949年]]4月、二つ目に昇進し、2代目[[三遊亭歌奴]]に改名した。
この頃スランプに陥り、一時期[[大阪府|大阪]]へ失踪。周囲に諭されて東京に戻るが、帰路の電車で円歌と遭遇。「明日の朝、おいで」と言われ、翌朝おそるおそる謝罪しに行くと、「いままでの芸じゃ駄目だ。何か、新しいものを見つけてこい」と1ヶ月ほど暇を出され、歌奴は祖母の疎開先であった[[秋田県]][[湯ノ岱温泉 (秋田県)|湯ノ岱温泉]]へ向かった<ref name="隔週刊 落語 昭和の名人 極めつき72席6a">{{Cite journal|和書|author=|year=2019|title=三代目三遊亭圓歌|journal=隔週刊 落語 昭和の名人 極めつけ72席|volume=|issue=6|publisher=小学館|pages=5-7|ref=}} </ref>。<br />
ここで、現地の人と東京の観光客で方言の違いで齟齬が出ていたことが面白く、これを落語に取り入れることができないかと思案し、そこへたまたま持っていた[[上田敏]]の訳詩集「海潮音」に収録されていた[[カール・ブッセ]]の詩「山のあなた」を加えてできた噺が、圓歌の代名詞とも言える創作落語「授業中」である。<br />