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==歴史==
===コスワースから独立~CART参戦===
コスワースに所属していた時にイリエンとモーガンが出会った2人は時期、[[フォーミュラ1|F1]]などの国際的な規模のレースシーン広く認知されている。多くのチームがコスワースのエンジンを使用することしていた。それによる勢力の均衡化が要因で、あまりチャレンジングな試みが行わなくなったことに2人は不満らせていた。特に[[チャンプカー・ワールド・シリーズ|CART]]に関してそれが著しく、ほとんど全てのチームが[[フォード・コスワース・DFVエンジン#インディカー|コスワース・DFX]]を使用していたために、エンジンメーカー同士の競争はなくなっていた。
 
そうした状況の中2人は、[[アメリカ合衆国|アメリカ]]レース界の名門でありCARTに参戦していた[[ペンスキー・レーシング]]代表の'''[[ロジャー・ペンスキー]]'''に電話によるコンタクトを試みる。イリエンとモーガンは新規にエンジンを開発するための協力をペンスキーから取り付けることに成功する。2人はコスワースを退社し、[[1984年]]1月、イルモア・エンジニアリングを設立するに至る。この際、イギリス・ブリックスワースに工場も新たに工場を建設された。実際に稼動を始めたのはし、同年12月からである稼動を開始した
 
[[ファイル:Ilmorchevyindyv8.JPG|thumb|right|240px|イルモアが開発したシボレーV8エンジン]]
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===MotoGPへの参戦===
[[ファイル:IlmorX3-003.jpg|thumb|250px|イルモアのMotoGPマシン(X3 2006)]]
2000年、2輪のモータースポーツ国際統括機関である[[国際モーターサイクリズム連盟|FIM]]は、2002年より[[ロードレース世界選手権]]においてそれまでの最高峰クラスである500ccクラスを[[ロードレース世界選手権|MotoGP]]クラスに改称し、4ストロークエンジンの排気量上限をそれまでの500ccから990ccとするレギュレーションを発表した。これは、環境意識の高まりによって市販車の排気ガス規制が厳しくなるに従ってい、規制をクリアーしにくい2ストロークエンジンがレース専用の特殊なエンジンになりつつあり、当時参戦していたメーカー以外の新規参戦が望めなくなっていた状況を打破すべく、4ストロークに排気量や気筒数でのハンディを与えて他メーカーの新規参入を促してレースを活性化する目的があった。この変更を受け、イリエンはMotoGPクラスに参戦するマシン用のエンジン開発を行いたい意向を示し、その意向の通り[[2007年]]からMotoGPクラスへの参戦が決定。2006年のシーズン終盤からテスト参戦を開始した。
 
2006年の第16戦ポルトガルGPと続く最終戦バレンシアGP、イルモアは他チームがレギュレーション上限の990ccのマシンで参戦する中、翌年からのレギュレーション変更を見越した800ccのマシンでテスト参戦し、いずれのレースでも周回遅れながらもポイントを獲得する(ライダーは[[ギャリー・マッコイ]])。翌2007年、予定通り開幕戦カタールGPに参戦したが、大口スポンサーの獲得に失敗したことによる資金不足などを理由に、第2戦スペインGPよりレースを欠場。イリエンは「スポンサーが確保でき次第参戦を再開したい」としていたが、以降新たなアナウンスはなく参戦再開の見込みは薄いものと見られている。