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 一向宗は[[蓮如]]以来、「'''[[講]]'''」と呼ばれる組織のネットワークを持っていた。三百年間、「隠れ念仏」の信仰が地下で続けられた背景にはこの講の組織があった。講は「番役」というリーダーを中心に、身分の区別なく組織され、「取次役」を通じて本山の本願寺と繋がっていた。
=== かくれ念仏洞 ===
 一向宗門徒はこのような講の組織を背景に、山中の洞穴などで法座といわれる集会を開いた。このような洞穴は戦後になって'''隠れ念仏洞'''と呼ばれるようになった。また'''抜け参り'''といって、藩境を超えて信仰の許されている藩の真宗寺院に参詣することも行われた。[[熊本県]][[水俣市]]にある浄土真宗本願寺派源光寺には、'''薩摩部屋'''というものが。これは薩摩から密出国した一向宗門徒が、世間の目に触れないように身を隠した場所なのであるという
 
=== 信仰の偽装 ===
 [[隠れキリシタン]]が「[[マリア観音]]」などの信仰の偽装を行ったことは知られているが、隠れ念仏もさまざまな偽装をほどこして信仰を守った。一向宗の信仰の証拠となる阿弥陀如来立像や、親鸞聖人の御影(肖像)、六字名号(南無阿弥陀仏)などは隠して守らなくてはならなかった。その偽装には'''傘仏'''(傘の形の桐材の容器に親鸞の御影の掛け軸を収めた)や'''まな板仏'''(まな板に似せた蓋つきの薄い木箱に本尊の掛け軸を納めた)などがあった。