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[[中国]]歴代王朝では、[[周]]王朝から[[隋]]王朝まで、[[秦]]王朝を除き、歴代の王・皇帝は諡号で呼ぶのが通例であり、一部に初代・2代目の皇帝を廟号で呼ぶなどの例外があった。しかし[[唐]]以降の王朝は、廟号ですべての皇帝を呼ぶのが通例となった。これは唐王朝以降は、諡号が複雑長大になる傾向があったためである。
[[明]]代以降は[[一世一元の制]]が採られ、一部の例外を除いて1人の皇帝が1つの[[元号]]のみを持つようになったため、
これと同じように、明治以降の日本では「元号+天皇」という呼び名を用いるようになった。それまでの天皇は、「諡+天皇」「諡+院」「諡+帝」などを用いた。ただし現役の天皇は元号を用いず、「今上天皇」または「今上陛下」と呼ぶのが一般的。
[[清]]は明から一世一元の制を引き継いだので、
▲[[清]]は明から一世一元の制を引き継いだので、日本に於いては入関以後、即ち[[順治帝]]以後の皇帝は明と同様に元号+帝で呼ばれるが、入関以前の太祖、太宗の2代は名前もしくは廟号で呼ばれる場合が多い。また、最後の皇帝である[[愛新覚羅溥儀]]も名前で呼ばれることが多い。
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