「菜飯田楽 きく宗」の版間の差分
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'''菜飯田楽 きく宗'''(なめしでんがく きくそう)は、[[愛知県]][[豊橋市]]新本町40にある[[料亭|料理店]]。
[[豆腐]]料理の[[菜飯田楽]](菜めし田楽)で知られ、「豊橋における菜飯田楽の名店」<ref name=tonichi20181126>「菜飯田楽」『東日新聞』2018年11月26日</ref>、「[[東海地方]]屈指の老舗」<ref name=asahi20000202>「豊橋市の菜飯」『朝日新聞』2000年2月2日</ref>と評されている。2019年(令和元年)に刊行された『[[ミシュランガイド]]愛知(名古屋)2019』ではミシュランプレート(星付きではないものの優れた料理店)を獲得している。
== 歴史 ==
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1945年(昭和20年)6月19日から20日の[[豊橋空襲]]では店舗が全焼したが、1946年(昭和21年)12月には営業を再開した<ref name="三河地方の食文化">[http://www.library.toyohashi.aichi.jp/?action=common_download_main&upload_id=473 三河地方の食文化 菜飯田楽] 豊橋市図書館</ref>。1967年(昭和42年)時点のメニューは「菜飯」「田楽」「吸物」「ジュース」「アイスクリーム」のみだった。1968年(昭和43年)には[[矢作ダム]]に沈む古民家を買い取り、当地に移築して店舗とした<ref name="三河地方の食文化"/>。
間口は狭いものの、建物多くには多くの座敷がある<ref name="名古屋味覚地図1967"/>。床の間にはきく宗が描かれた錦絵が掛け軸に仕立てられている<ref name="名古屋味覚地図1967">創元社編集部『名古屋味覚地図 1967年版』創元社、1966年</ref>。[[名古屋市]]出身の女優である[[戸田恵子]]は、幼少期に入ったきく宗を「家族3人で食べた思い出の味」としている<ref>戸田恵子『おいし なつかしなごやのおはなし』ぴあ、2014年、pp.42-43</ref>。
現在は菜飯田楽定食を中心として様々なメニューがある。8代目主人の太田敬介は[[日本将棋連盟]]豊橋支部長も務めており、2012年(平成24年)頃からは店舗の2階で豊橋まちなか将棋教室を開催している<ref>「豊橋のまちなか 将棋で活性化」『東愛知新聞』2016年6月6日</ref>。 <gallery>
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