「部落問題」の版間の差分
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この男性は、44通すべての関与を認めており、会合で話をして、講演料まで受け取っている。県警は、町に雇用を継続させることが目的だったと見ている<ref>{{Cite web |url=http://mainichi.jp/area/fukuoka/news/20090722ddlk40070282000c.html |title=取材ノート:自作自演 /福岡 |newspaper=毎日jp(毎日新聞) |archiveurl=http://web.archive.org/web/20090817210428/http://mainichi.jp:80/area/fukuoka/news/20090722ddlk40070282000c.html |archivedate=2009-07-22 |accessdate=2019-06-17}}</ref>。
==同和対策事業
かつて問題となった[[所得格差]]や[[インフラストラクチャー]]整備の遅れ、[[進学率]]の違いは住宅改善事業などの[[同和対策事業]]により指定地区ではかなり解消され、若い世代では差別意識は薄れてきている。しかし、身元調査が行われている事を背景に過去に被差別部落のリスト(特殊部落「[[地名総鑑]]」など)が会社の人事担当などを対象に売られる事件がたびたび起こっている。結婚や就職、地域交流に関わる差別は当事者の判断にかかる事柄であり差別事象は多い。また、部落差別解放問題に取り組む団体の関係者(主に行政と地域との間のパイプ役となっている団体役員)による不正行為の発覚、路線の対立する各団体同士間の[[イデオロギー]]の差異に端を発する対立によるトラブルなど、違う類の問題も表面化している。
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一方、従来の「周囲の差別的な視線により移転の自由がままならず、同じ血筋の人が代々住み続けているところ」との一般的な部落に対するイメージとは異なり、[[京都市]]、[[大阪市]]などに多数存在する都市部落では、人口の流出入が極めて活発であり、社会的地位の上昇を果たした階層が転出していき、その代わり社会的に低位な層が転入してくるという循環構造が形成されていることが近年明らかになってきている<ref>部落解放研究所編『新編 部落の歴史』(解放出版社、1993年)ほか{{Full citation needed |title=ページ番号不明。「ほか」の部分の詳細不明。 |date=2019-06-17}}</ref>。近い将来、それらの地区では、新たな貧困と、それに起因する様々な社会的問題を抱えることになるのではないかと懸念されている。早期に同和対策事業が開始された地域では、その一環として取り組まれた社会資本の老朽化が顕著になっているほか、すでに地区住民の実情に合わないものになっており、その対処を巡り新たな課題が発生していると指摘されることもある{{Sfn|こぺる編集部|1991|p=不明{{要ページ番号|date=2019-06-17}}}}。
政界においては[[野中広務]]が被差別部落の出身として有名であるが、出身に起因する差別や妬みなどがあったと言われている。野中が出馬するという説があった[[2001年自由民主党総裁選挙|2001年の総裁選]]では、部落出身であるから[[内閣総理大臣]]にはなれないという話も出てきていた(結局野中が所属する[[平成研究会]]は[[橋本龍太郎]]を擁立した)。こうした中、野中は同党の[[麻生太郎]]が差別発言を行ったとして名指しで非難し(野中の著書によれば、新聞記者からの情報があったとされている)、麻生が否定するという一幕もあった<ref>[[魚住昭]] 『[[野中広務 差別と権力]]』 [[講談社]] 2004年 ISBN 4062753901 384から386頁、391から393頁{{Full citation needed |title=このISBN(4062753901)は文庫版のものですが、2004年という刊行年は文庫版ではないバージョンのものです(文庫版の刊行は2006年からです)。出典として使用したものが文庫版なのかそうでないのかが不明確です。 |date=2019-06-17}}</ref><ref>{{Cite book |和書 |author=[[角岡伸彦]] |title=はじめての部落問題 |publisher= [[文藝春秋]] |series=文春新書 |date=2005 |isbn=4166604783 |page=104}}</ref><ref>{{国会会議録検索システム|116204601X00320050222|第162回国会衆議院総務委員会第3号 平成17年2月22日}}</ref>。▼
=== 結婚差別 ===
部落出身者と結婚すると血縁関係が生ずるため、「自分の[[家系]](息子、娘)の血が穢(けが)れるから」と反対する家族(親戚なども)が多くいた。内密に身元調査や聞き合わせを行い、部落出身者と分かると結婚を許さない例や、好きな人と一緒になることに妨げがあった。そのため部落民は部落民同士で結婚することや、仮に部落外の人と結婚できたとしても、それは親族の祝福がない[[駆け落ち]]であるなどのことが多かった。
また結婚差別に遭い、自ら命を絶つ者も多くいた。今でも、結婚に反対する傾向は少なからずあり、露骨に反対する場合・それ以外の理由に託けて反対する場合の両方がある。この問題があるため、[[探偵業の業務の適正化に関する法律]]の成立後は、どの[[探偵]]業者も『'''差別につながる身元調査はしません'''』と[[広告]]([[タウンページ]])や契約書に注記している。
なお、部落民による結婚差別もあったことを畑道雄が報告している<ref name="kansatsuki" />。それによると、神戸市の部落の娘に部落外の会社員が求婚したところ、娘の親が会社員の血統の調査をおこない、「もし男が同じ穢多の生まれなら喜んで娘を嫁がせるが、そうでなければ断る」との理由で破談になったという<ref name="kansatsuki" />。
===就職差別===
1975年(昭和50年)11月に、被差別部落とされる地域を一覧で記した本が[[興信所]]などにより作成され購入者の人事部に配備したとされる「部落地名総鑑事件」が発覚した。しかし法務省人権擁護局は、被差別部落ではない地名も含まれている、としている。2007年(平成19年)には、[[部落地名総鑑]]の内容を収録した[[フロッピーディスク]]が出回っていることが発覚した<ref>『[[週刊ポスト]]』2007年6月1日号、[[小学館]]。{{要ページ番号|date=2019-06-18}}</ref>。
===差別とされた表現の例===
====1950年代====
*1956年(昭和31年)1月、小説家[[石上玄一郎]]が『[[朝日新聞]]』文化欄に発表した評論の中で「文壇には、特殊部落的偏狭さがみちみちている」と記述。これに対して部落解放同盟が[[朝日新聞社]]を[[確認・糾弾|糾弾]]。朝日新聞社は「今後、部落問題をタブー視せず、前向きに差別の現実を書く」ことを約束した{{sfn|部落解放研究所|1986|p=10}}。この結果、朝日新聞は1年後の人権週間に『部落 三百万人の訴え』と題する連載記事を掲載した{{Sfn|部落解放同盟中央本部|2002|p=271}}。
====1960年代====
*1962年(昭和37年)、小説家[[灰谷健次郎]]が短編小説『笑いの影』(『[[新潮]]』1962年12月号)で被差別部落出身の中学生による暴力・[[性行為|セックス]]・[[強姦]]・殺生・犬肉食などを描く。この作品における、被差別部落出身の中学生のセリフ「どうせオレたちは差別教育を受けて、ドカチン(土方)か、アンパン(日雇)になるんだ。センコにおべんちゃらをして泣きついて、せいぜい町工場に就職させてもらうんじゃわりにあう話やない。暴れるだけ暴れてよオ、したいことをして出ていってやる」などが部落解放同盟から「少年非行を通して権力の姿を浮き彫りにするという図式を装いつつ、その実やたらと暴力的な行動と、やたらと猟奇的な行動を、卑俗な興味の中で描こうとした」「いわれもない差別の中に生きている人たちの実態が何もなく、恣意的にしかも偏見に満ちて描かれている」と批判され、糾弾に至った<ref>{{Cite book |和書 |author=[[黒古一夫]] |title=灰谷健次郎 その「文学」と「優しさ」の陥穽 |publisher=[[河出書房新社]] |date=2004 |isbn=4309016030 |page=}}{{要ページ番号|date=2019-06-17}}</ref>。
*1962年(昭和37年)7月、劇画家[[平田弘史]]が劇画『[[血だるま剣法]]』(日の丸文庫)で江戸時代の被差別部落出身剣士の復讐を描く。このため、「部落民を残酷な人々と描くことで部落解放運動をゆがめている」などの理由により部落解放同盟大阪府連合会の糾弾を受け、同書は発売後1カ月で回収・絶版に追い込まれた<ref>{{Cite book |和書 |author=[[上原善広]] |title=異形の日本人 |publisher=新潮社 |series=[[新潮選書]] |isbn=9784106103872 |date=2010 |page=}}{{要ページ番号|date=2019-06-17}}</ref>。
*1967年(昭和42年)1月と2月、小説家で精神科医の[[なだいなだ]]が『[[毎日新聞]]』朝刊の人生相談欄『悩みのコーナー』にて、結婚差別を受けたという部落出身女性の投書に対して「部落民という考えは、内部の[[劣等感]]によって支えられている」「小さなつまらぬ悩みだ」と回答したところ、部落解放同盟が糾弾に乗り出した。
*1967年(昭和42年)1月、NHK連続テレビ小説『[[おはなはん]]』(脚本は[[小野田勇]])の中で、駅前の肉屋のある地域を指して「柄の悪いところ」「こわいところ」という台詞を使い、その「こわいところに乗り込む主人公」を勇敢な女性に見立てた場面が部落解放同盟中央本部から問題視され、NHKが糾弾を受けた{{Sfn|部落解放同盟中央本部|2002|p=271}}。
*1968年(昭和43年)、[[日本社会党]]の中央理論誌『月刊社会党』10月号に「社会党中央執行委員会では通ずるかも知れないが、普通の感覚を持ち合わせているものには奇異をさえ覚える。中執委は特殊部落かと頭をかしげざるを得ない」との文章が登場。筆者の松井恒子は[[日教組]]本部調査部副部長で社会党員であった。これに対して部落解放同盟は社会党委員長の[[成田知巳]]に抗議し、反省と陳謝の回答を得た{{Sfn|部落解放同盟中央本部|2002|pp=259-262}}。
*1969年(昭和44年)、経済学者[[大内兵衛]]が、[[岩波書店]]刊行の雑誌『[[世界 (雑誌)|世界]]』3月号に論文「[[東京大学|東大]]は滅してはならない」を発表。この論文における「[[大学]]という特殊部落の構造」という表現が部落解放同盟によって追及され、執筆者大内と岩波書店が糾弾を受けた。『世界』3月号は回収処分となり、編集部と大内が同誌の4・5月号に謝罪文を発表{{Sfn|成澤|1993|p=12}}。
*1969年(昭和44年)、評論家[[竹中労]]が、『[[週刊明星]]』連載の「書かれざる[[美空ひばり]]」で「ひばりの歌声は差別の土壌から生まれて下層社会に共鳴の音波を広げたこと、あたかもそれは、[[世阿弥]]、[[出雲阿国|出雲のお国]]が賎民階級から身を起こした[[河原者]]の系譜をほうふつとさせる。……ひばりが下層社会の出身であると書くことは『差別文書』であるのか」と書き、部落解放同盟大阪府連に糾弾された。
====1970年代====
*1970年(昭和45年)、児童文学者[[今江祥智]]が長篇童話『ひげのあるおやじたち』([[福音館書店]])の中に[[非人]]を登場させ、「非人たちは、いつもどこか死人のにおいがした」(pp.112-113)、非人部落の描写として「なんともかともいえぬにおいが、下のほうからむっとのぼってきたのだった。目のなかにまでしみるようなにおいだった」(p.116)などと記述。これらの表現が部落差別を助長しているとされたため、今江は部落解放同盟から糾弾を受け、1971年(昭和46年)4月、『日本児童文学』誌に「わたしの中の"差別"」と題する反省文を発表。『ひげのあるおやじたち』は直ちに絶版・回収・裁断処分となり、2008年(平成20年)に『ひげがあろうが なかろうが』に併録される形で[[解放出版社]]から復刊されるまで公刊されなかった。
*1973年(昭和48年)7月19日、司会者[[玉置宏]]が[[フジテレビジョン|フジテレビ]]の[[ワイドショー]]『[[3時のあなた]]』にて「芸能界は特殊部落だ」と発言したところ、1973年(昭和48年)8月16日、部落解放同盟が玉置とフジテレビと[[関西テレビ放送|関西テレビ]]を相手取って確認・糾弾会を開いた。玉置は謝罪し、テレビ局側は部落問題解決のための番組作りを約束した。
*1973年(昭和48年)4月1日、[[日本テレビ]]『ドキュメント73』の「この若き官僚たち」の中で、出席した外務省アメリカ局北米二課の[[谷内正太郎]]が「われわれを特殊部落的にみてもらいたくない」と発言<ref name="sabetsuyougo36">『差別用語』(汐文社、1975年)p.36-38</ref>。このことが部落解放同盟から問題視され、4月19日、日本テレビ本社で糾弾会が開かれた<ref name="sabetsuyougo36" />。7月13日、日本テレビ側が部落解放同盟中央本部に自己批判書を提出<ref name="sabetsuyougo36" />。日本テレビは反省の意味で、12月9日、『ドキュメント73』の枠で結婚差別問題(住吉結婚問題)をとりあげた「あるたたかいの記録」を放映した<ref name="sabetsuyougo36" />。この住吉結婚問題は、部落出身の女性が結婚差別で自殺したとされる事件であったが、女性の婚約者側は「遺書により初めて部落出身と知った」と主張しており、本当に差別事件だったかどうかは疑問がもたれていた<ref name="sabetsuyougo36" />。しかし番組の内容はあくまで部落解放同盟の立場にたったものであった<ref name="sabetsuyougo36" />。このため、部落解放同盟正常化連(当時)の[[中西義雄]]は、12月12日、日本テレビに「事実無根のデマ報道」との抗議を申し入れている<ref name="sabetsuyougo36" />。
*1973年(昭和48年)9月、映画評論家の[[淀川長治]]が『[[産経新聞|サンケイ新聞]]』の[[インタビュー]]記事にて、自らの庶民性を示す証として、両親から近寄らないよう言われていた「特殊な部落にある銭湯にはいったこともあった」、「この貧しい人たちと液体で結ばれたと思ったのにねぇ」という経験を語ったところ、部落解放同盟が「両親の差別意識を肯定するとともに、自らの[[エリート]]意識をさらけ出すもの」「エセ・[[ヒューマニズム]]」(宮原良雄)と反撥し、糾弾に至った{{Sfnm|1a1=部落解放研究所|1y=1986|1p=308|2a1=成澤|2y=1993|2p=14}}。この事件の後、サンケイ新聞社は1974年(昭和49年)11月から1975年(昭和50年)3月にかけて、部落問題の特集記事として『シリーズ・差別』を大阪本社発行の朝刊に連載した。部落解放同盟は、部落解放同盟大阪府連合会制作による[[狭山事件]]告発映画『狭山の黒い雨』を部落問題の視点から批評するよう淀川に要求した。
*1974年(昭和49年)、[[大正製薬]]の強壮ドリンク剤「[[リポビタンD]]」の広告のキャッチフレーズが「ヨッ! お疲れさん」から「ヨォ! お疲れさん」に変更された<ref name="sabetsuyougo59">『差別用語』(汐文社、1975年)p.59-60</ref>。「ヨッ」が被差別部落民の蔑称である「四つ」に通じるため、関西の被差別部落関係者から抗議があり、あわてた大正製薬が広告取扱店の[[電通]]に改稿を求めたというのが真相であった<ref name="sabetsuyougo59" />。
*1974年(昭和49年)1月、[[共同通信]]による記事が福岡の『夕刊フクニチ』に掲載された<ref name="sabetsuyougo60">『差別用語』(汐文社、1975年)p.60-61</ref>。記事の内容は[[森敦]]の『月山』を紹介するもので、「密造酒をつくり飲み交わす雪に閉ざされた部落の人々の生活は外界の俗世間とは隔絶した別世界である」と書かれていた<ref name="sabetsuyougo60" />。この「部落」は被差別部落の意味ではなかったが、部落解放同盟八幡地協が差別表現として問題視。『フクニチ』の編集局長が八幡地協に呼び出され、「掲載したフクニチの姿勢が問題だ」「社長を呼べ」「部落は被差別部落と同一語だ」「おまえは被差別者か。そうでなければ差別者だ」などと吊るし上げを受け、掲載紙の回収を迫られる事態に発展した<ref name="sabetsuyougo60" />。
*1977年(昭和52年)、作家の[[臼井吉見]]が[[展望 (雑誌)|展望]]に連載した『事故のてんまつ』に、[[川端康成]]の家政婦や川端自身について被差別部落出身を想起させる描写をしたため、川端家からは販売差止め仮処分の民事訴訟が提起されると共に、部落解放同盟からは糾弾を受けた<ref>{{Cite book |和書 |author=武田勝彦 |title=証言・事故のてんまつ |date=1978 |publisher=講談社 |editor=永沢吉晃 |page=}}{{要ページ番号|date=2019-06-17}}</ref>。
*1977年(昭和52年)12月14日、日本社会党委員長の[[飛鳥田一雄]]が[[日本テレビ]]の『[[おはようニュースワイド]]』で「国会が特殊部落のようにならなければよいが」と発言{{Sfn|部落解放同盟中央本部|2002|p=262-268}}。これに対し部落解放同盟が抗議し、一度は社会党から陳謝を得たものの納得せず、さらに2年間にわたって抗議を続け、[[1979年]][[11月23日]]、飛鳥田が部落解放同盟主催の「松本治一郎死去13年記念集会」で謝罪講演を行い、その全文を社会党機関紙『[[社会新報]]』に掲載することでようやく一応の決着をみた{{Sfn|部落解放同盟中央本部|2002|p=262-268}}。
*1979年(昭和54年)8月、[[曹洞宗]]宗務総長で[[全日本仏教会]]理事長(当時)の[[町田宗夫]]が、[[アメリカ合衆国|米国]][[ニュージャージー州]][[プリンストン (ニュージャージー州)|プリンストン]]における第3回世界宗教者平和会議にて、「日本に部落差別はない」「部落解放を理由に何か騒ごうとしている者がいる」「政府も自治体もだれも差別はしていない」と発言。このことが部落解放同盟から「部落解放運動の全面否定」とされ、糾弾に至った。これをきっかけとして[[同和問題にとりくむ宗教教団連帯会議]]が1981年に結成された。
====1980年代====
*1981年(昭和56年)2月、政治学者で[[東京大学社会科学研究所]][[教授]](当時)の[[有賀弘]]が、[[ベルリン自由大学]]における日本学研究室の[[金子マーティン]]講師(当時)の部落問題に関する研究発表に対し、「部落問題は東日本にはない。西日本にはあるが、それは部落解放同盟と日本共産党との同和予算をめぐる金銭上のトラブル」「[[日本語]]の部落という言葉は、村落とか集落とかいう一般名詞であって何も差別を意味するものではない」と発言。このことが部落解放同盟の糾弾を招いた。
*1982年(昭和57年)、俳優座が[[ブレヒト]]原作『屠殺場の聖ヨハンナ』を上演した折、「屠殺」という表現が部落差別とされ、改題してもなお激しい糾弾に遭い、上演は困難を極めた。
*1984年5月24日、日本テレビ系『[[ルックルックこんにちは]]』でゲストの政治評論家の[[宮川隆義]]が「国会は特殊部落のようなもの」と発言。部落解放同盟から糾弾を受けた{{Sfn|江上|2007|pp=97-100}}。
*1986年(昭和61年)、『[[旅の手帖]]』誌([[弘済出版]])が山陰観光キャンペーンの記事で「ミニ独立国」へ「税金」を払うと特産品が送られてくる企画を紹介。金額によって「くにびき」「オロチ」などと名付けられた金額別のコースを「平民向け」「富豪向け」「大富豪向け」と記した表現が[[島根県]]当局によって「『平民』など差別的な表現」とされ、出版社への抗議や雑誌の回収に至った。この事件は部落解放同盟広島県連合会発行の『部落解放ひろしま』5号(1986年12月)でも論評抜きに肯定的紹介がなされたが、「『平民』が『庶民』とでもいいかえられておれば、問題化しなかったのであろうが、笑止の沙汰である」「本来、解放同盟が差別の矮小化として注意を喚起すべきところ」{{Sfn|こぺる編集部|1991|p=131における灘本昌久の発言。}}という批判を呼んだ。
*1987年1月19日、日本テレビ系『[[11PM]]』にて、[[早坂茂三]]が「[[永田町]]という特殊部落」と発言。部落解放同盟中央本部から糾弾を受けた{{Sfn|江上|2007|pp=97-100}}。
*1987年10月5日、フジテレビ系『[[おはよう!ナイスデイ]]』にて、映画監督の[[斎藤耕一]]が「大学のような特殊部落」と発言。フジテレビ社長の[[日枝久]]ともども部落解放同盟から糾弾を受け、フジテレビは部落解放同盟の意向に沿って「部落差別の現在進行形」と題する番組を放映させられた{{Sfn|江上|2007|pp=97-100}}。
*1988年(昭和63年)、[[山口県]][[新南陽市]]当局が同和事業執行の必要から市営住宅に関する条例を改め、市営住宅の入居資格における「寡婦、引揚者、炭鉱離職者」という従来の制限に「その他の社会的に特殊な条件下にある者」という条項を加えた。これが部落解放同盟から「部落民を特殊な者として差別した表現」と問題視されて糾弾に発展、市当局者は「結果的に同和地区の人々にとって痛みを感じるような表現になったのは遺憾」と陳謝し、条例を改めた<ref>『[[朝日新聞]]』1988年6月3日{{要ページ番号|date=2019-06-18}}、『[[解放新聞]]』1988年7月11日。{{要ページ番号|date=2019-06-18}}</ref>。これに対して[[灘本昌久]]は、「[[水平社]]時代であれば絶対に糾弾されなかったこと」「『特殊』という言葉に、これほどこだわることは驚くほかない。『特殊』の代わりに、『特別』とでも書いておけばよかったのだろうか。これを差別事件として麗々しく取り上げた『解放新聞』の記事は、運動史上の汚点のひとつである」と批判した{{Sfn|こぺる編集部|1991|p=131}}。
*1989年(平成元年)10月、[[ニュースキャスター]]の[[筑紫哲也]]がTBS『ニュース23』の第1回目の放送で[[ビートたけし]]と対談し、[[アメリカ軍]]が[[コロンビア]]の[[麻薬]]密売を取り締まる[[麻薬戦争]]について「いま麻薬の値段を吊り上げたら、[[ニューヨーク]]の街も多分[[と畜場|屠殺場]]だね」と発言した。当時、公の場で使われる差別的な言葉が問題となっていたため(批判的な意味で[[言葉狩り]]とも呼ばれた)、筑紫は「屠殺場」という言葉の使い方が不適切だったとして翌日に[[謝罪]]をした。しかし一部の[[屠場]][[労働組合|労組]]から抗議があり、[[部落解放同盟]]も加わっての糾弾会が合計9回にわたって行われた{{Sfn|山中|1992|pp=198-201}}{{efn|その糾弾会は1回から4〜5回までは"人格が破壊されかねない"ほど激しいもので「ある時は『差別とは何か、いってみろ』といわれ、あまりにも漠然とした問いに戸惑っていると、『なぜ黙っているんだ、いえないのか』とやられ、考えがまとまらずに何かをいうと、次から次へと揚げ足とりで突っ込まれる。何をいっても吊るし上げられる、一事の過激派学生の[[大衆団交]]と同じだったという。(略)よく、解同関係者は『糾弾は教育の場』というが、筑紫糾弾会は拷問に等しい」と批判している。}}。
*1989年(平成元年)、[[岩波新書]]の『報道写真家』([[桑原史成]])における「戦場という異常な状況下では牛や豚など家畜の屠殺と同じような感覚になる」という記述における「屠殺」の語句が問題とされ、回収処分となった。
====1990年代====
*1991年、月刊誌『[[山と溪谷]]』1月号([[山と溪谷社]])の連載企画「論争のうちとそと──第13回・[[田淵行男]]〜[[安曇野]]のナチュラリスト」(筆者は[[近藤信行]])の中に「山岳写真家という『特殊部落』の住人」など、4ヶ所で「特殊部落」の語が使われていることが問題視され、同社は部落解放同盟から糾弾を受けた{{Sfn|江上|2007|pp=99-100}}。
*1991年9月30日、経済学者の[[村田昭治]]は[[日本テレビ]]『[[EXテレビ]]』にコメンテーターとして登場し、「デパートの中で、宣伝部だけが特殊部落だというイメージをつくっちゃったら駄目なんですね」と発言。村田と日本テレビは部落解放同盟から糾弾を受け、謝罪と反省文提出に追い込まれた{{Sfn|江上|2007|pp=97-100}}。
*1996年(平成8年)、[[講談社]]が発行した少女漫画誌『[[別冊フレンド]]』3月号の連載漫画『勉強しまっせ』([[みやうち沙矢]])の中に[[大阪市]][[西成区]]が登場。西成について、副編集長の手により「大阪の地名。気の弱い人は近づかない方が無難なトコロ」との解説が付された。このため、みやうちと講談社は部落解放西成区民共闘会議などに糾弾された。
====2000年代====
*2004年(平成16年)、[[代々木ゼミナール]]講師([[古文]]担当)の[[吉野敬介]]が講義の中で「[[鑑別所]]にランクってあるんです……俺なんか[[暴走族]]の特攻隊長のとき、入ってんだよ。鑑別所に入った瞬間に、[[天皇|天皇陛下]]級なの、ほんとに……[[強姦|レイプ]]とかな、[[強姦]]なんかで入っちゃった日にゃ、な、[[エタ]]・[[非人|ヒニン]]だ。ほんとに」などと発言。このため吉野と代々木ゼミナール法人総括本部長ら計6人が共に部落解放同盟から糾弾を受け、吉野は反省文の提出を、代々木ゼミナールは「人権研修」の実施などを要求された<ref>{{Cite news |newspaper=解放新聞 |date=2004-12-20 |url=http://www.bll.gr.jp/news2004/news20041220-2.html |title=代々木ゼミで差別講義 発言の事実は認める 人権研修が一度もないなかで |publisher=部落解放同盟中央本部 |archiveurl=http://web.archive.org/web/20050310125409/http://www.bll.gr.jp/news2004/news20041220-2.html |archivedate=2005-03-10}}</ref>。
*2005年(平成17年)、[[テレビ朝日]]系の番組「[[サンデープロジェクト]]」において、[[ハンナン]]偽装食肉事件に関する報道VTRの放映の直前に生放送中のスタジオ内で[[田原総一朗]]が「この人([[浅田満]])をやらないマスコミが悪いんですよ。この人が[[被差別部落]]のなんとかといってね、恐ろしがっている。何にも恐ろしくない。本当はね。それを[[大谷昭宏|大谷]]さんがやるんだよね。この人は被差別部落をタブー視しないからできる」と発言し、それを受ける形で[[高野孟]]が「[[大阪湾]]に浮くかもしれない」、[[うじきつよし]]が「危ないですよ2人とも」と発言。これらの発言を部落解放同盟が「部落への強烈な予断と偏見を視聴者に植えつける」ものと位置づけたため、糾弾に至った([[サンデープロジェクト糾弾事件]])。
*2009年(平成21年)、朝日新聞の社員が2ちゃんねるの掲示板で差別的な書き込みをしたとして懲戒処分が下された。''[[朝日新聞社員2ちゃんねる差別表現書込事件]]を参照''
====2010年代====
*2012年(平成24年)、NHKのテレビ番組「[[鶴瓶の家族に乾杯]]」(5月7日放送)にて、俳優の[[谷原章介]]がみずからの祖先を探るために寺院を訪ね、過去帳を見せてもらう様子が放送された<ref name="kaihou">{{Cite news |url=http://www.bll.gr.jp/news2012/news20120827-4.html |title=「閲覧」と差別結びつかず NHKのテレビ番組「鶴瓶の家族に乾杯」で |newspaper=解放新聞 |date=2012-08-27 |publisher=部落解放同盟中央本部 |archiveurl=http://web.archive.org/web/20140808210516/http://www.bll.gr.jp/news2012/news20120827-4.html |archivedate=2014-08-08 |accessdate=2019-06-17}}</ref>。すると「過去帳はお寺に行けば簡単に見せてもらえるものだという考えを視聴者に与える」と部落解放同盟が抗議<ref name="kaihou" />。NHKは「差別への認識の甘さ」に対する反省文を出すよう要求された<ref name="kaihou" />。
*2012年(平成24年)、[[佐野眞一]]と『週刊朝日』取材班([[今西憲之]]、村岡正浩)の共同執筆による[[橋下徹]]大阪市長の評伝『ハシシタ 奴の本性』の連載第1話が『[[週刊朝日]]』10月26日号に掲載された。記事の内容は、父方を通じて被差別部落にルーツを持つ橋下の血脈を探るものであり、10月18日、橋下徹から定例[[記者会見]]で抗議を受けた<ref>{{Cite news |url=http://sankei.jp.msn.com/politics/news/121018/lcl12101816280002-n1.htm |title=橋下氏「不法団体と一緒だ」と朝日批判 週刊誌報道、朝日記者は「別会社」繰り返す |newspaper=MSN産経ニュース |archiveurl=http://web.archive.org/web/20130413161257/http://sankei.jp.msn.com/politics/news/121018/lcl12101816280002-n1.htm |archivedate=2013-04-13 |accessdate=2019-06-17}}</ref>。同日、[[自由同和会]]中央本部が『週刊朝日』編集長に抗議文を提出<ref>[http://www.jiyuudouwakai.jp/asahi.pdf 週刊朝日への抗議文 - 自由同和会中央本部]</ref>。10月19日には『週刊朝日』編集部がこの連載の打ち切りを決定<ref>{{Cite news |url=http://sankei.jp.msn.com/politics/news/121019/lcl12101920080003-n1.htm |newspaper=MSN産経ニュース |title=【橋下氏VS朝日】週刊朝日が連載打ち切り 「不適切な記述が複数あった」 |date=2012-10-19|archiveurl=http://web.archive.org/web/20131203062742/http://sankei.jp.msn.com/politics/news/121019/lcl12101920080003-n1.htm |archivedate=2013-12-03}}</ref>。10月22日、[[部落解放同盟]]中央本部も抗議声明を出した<ref>{{Cite web |url=http://www.bll.gr.jp/guide-seimei20121022.html |title=『週刊朝日』(2012年10月26日号)掲載記事「ハシシタ 奴の本性」に関する抗議文 |publisher=部落解放同盟中央本部 |archiveurl=http://web.archive.org/web/20130531035616/http://www.bll.gr.jp/guide-seimei20121022.html |archivedate=2013-05-31 |accessdate=2019-06-17}}</ref>。10月26日には同誌編集長の[[河畠大四]]が更迭され<ref>{{cite news |url=http://www.asahi.com/national/update/1026/TKY201210260383.html |title=週刊朝日編集長を更迭 朝日新聞出版、橋下氏記事めぐり |newspaper=asahi.com |date=2012-10-26|archiveurl=http://web.archive.org/web/20130917191827/http://www.asahi.com/national/update/1026/TKY201210260383.html |archivedate=2013-09-17}}</ref>、11月12日には3カ月の停職処分を受けた<ref>{{Cite news |url=http://sankei.jp.msn.com/west/west_affairs/news/121112/waf12111220040022-n1.htm |newspaper=MSN産経ニュース |title= 【橋下氏VS朝日】発行元の社長、異例の引責辞任 週刊朝日問題 |date=2012-11-12 |archiveurl=http://web.archive.org/web/20160304200627/http://sankei.jp.msn.com/west/west_affairs/news/121112/waf12111220040022-n1.htm |archivedate=2016-03-04}}</ref>。同じ11月12日には『週刊朝日』の発行元である[[朝日新聞出版]]社長の神徳英雄が引責辞任している<ref>{{cite news |url=http://sankei.jp.msn.com/west/west_affairs/news/121112/waf12111216370014-n1.htm |newspaper=MSN産経ニュース |title=【橋下氏VS朝日】週刊朝日側、社長辞任で“けじめ”「人権を傷つけた」橋下氏に直接謝罪 |date=2012-11-12|archiveurl=http://web.archive.org/web/20160304122107/http://sankei.jp.msn.com/west/west_affairs/news/121112/waf12111216370014-n1.htm |archivedate=2016-03-04}}</ref>。なお、11月12日付で佐野眞一が「見解とお詫び」と題する謝罪文を発表し、「差別や身分制度を助長する考えは毛頭ありません。しかしながら、ハシシタというタイトルが、不本意にも橋下氏の出自と人格を安易に結び付ける印象を与えてしまい、関係各位にご迷惑をかけてしまいました」と述べている<ref>{{Cite web |url=http://publications2.asahi.com/3.html |publisher=朝日新聞出版 |title=朝日新聞社報道と人権委員会の見解等について |archiveurl=http://web.archive.org/web/20130524193516/http://publications2.asahi.com:80/3.html |archivedate=2013-05-24 |accessdate=2019-06-17}}</ref>。本件についての詳細は「[[週刊朝日による橋下徹特集記事問題]]」を参照<!--この場合地の文にした方が自然-->。
===差別とされなかった表現の例===
*[[松本治一郎]]は、1952年(昭和27年)7月、[[徳川夢声]]との対談で「『部落』と書こうが『[[穢多|エタ]]』といおうが、問題じゃないんです。……その前後に差別の意味が加わってさえいなけりゃ、少しも問題はないわけですよ。それを[[確認・糾弾|糾弾]]するというのは、ことさらためにしようとするハシッパのもんです。……悪い奴にかかると、やっぱりヘンなことが生ずる」{{Sfn|松本|1977|p=20}}と語り、差別表現として糾弾するか否かはその語が差別的文脈で使われているか否かによるという見解を示したが、1948年(昭和23年)には松本自身が「私は三百万部落民の水平運動から、さらに数歩をすすめて、いわば世界の特殊部落におちこんだ八千万日本人民の水平運動をおこしたいと考えているのだ」{{Sfn|松本|1948|p=57}}と述べ、特殊部落という語を差別的文脈で使用していた。しかしこれは糾弾の対象とならず、松本自身も自己批判しなかった{{Sfn|金|1994|p=539}}。
*1952年(昭和27年)8月20日、『[[解放新聞]]』は「おじいさん達も斗つた─八十一回目の解放令記念日を迎え」と題する[[中西義雄|山村槙之助]]の記事を載せた。この記事の中では「再軍備と植民地化に反対し、民族の解放を斗いとることが、外国帝国主義と国内反動のために世界の特殊部落になれはてた日本民族全体の死活の問題として切実に出されてきている」と、やはり特殊部落という語が差別的文脈で使われていた。しかし、これもやはり糾弾の対象とならず、『解放新聞』も山村も自己批判しなかった{{Sfn|金|1994|p=542}}。
*1966年、[[丸山眞男]]が鼎談集『現代日本の革新思想』([[河出書房新社]])の中で「とかく左翼インテリの論議は、現実の勢力配置をそっちのけにして、せまいイデオロギー的"部落"のなかでワイワイやることになりがちですからね」と発言。しかし糾弾の対象とならず、読者の[[呉智英]]は「釈然としない気持ちだった」と回想している<ref>呉智英『危険な思想家』p.63。{{Full citation needed |title=単行本と文庫版の2つがありますが、どちらのこのページを指しているのか不明です。 |date=2019-06-18}}</ref>。
*1970年、[[大江健三郎]]はルポルタージュ『沖縄ノート』の中で、集団自決を強制したとされている元守備隊長を「屠殺者」と表現した。この件について、「世界屠畜紀行」([[解放出版社]])の作者・[[内澤旬子]]は「誤植……じゃないよなあ」「屠場労働組合がまさに糾弾対象としている使われ方にドンピシャリ」と驚きを示した(2007年12月3日付の著者ブログ)。また、評論家の[[呉智英]]は「部落解放同盟などは「だれだれの作品だから差別はないと“神格化”したものの考え方を一掃したい」と言明した」「だが『沖縄ノート』は一度も糾弾されずに今も出版され続けている。大江健三郎に限ってなぜ糾弾から免責されるのか。大江健三郎のみ“神格化”される理由は何か。かくも悪質な差別がなぜ放置されているのか。知らなかったと言うのなら、それは許す。だが、今知ったはずだ。岩波書店、部落解放同盟にはぜひ説明していただきたい」<ref>{{Cite news |archiveurl=http://megalodon.jp/2008-0712-0708-31/sankei.jp.msn.com/culture/academic/071201/acd0712010322001-n1.htm |archivedate=2008-07-12 |url=http://sankei.jp.msn.com/culture/academic/071201/acd0712010322001-n1.htm |title=大江健三郎の“特権” |author=呉智英 |newspaper=[[産経新聞]] |date=2007年12月1日}}</ref>と問題提起した。しかし、今日に至るまで部落解放同盟は大江を一度も糾弾しておらず、その理由も説明していない。
*1971年、[[塚本邦雄]]が『悦楽園園丁辞典』([[薔薇十字社]]、1971年)p.38で「商業美術といふ画壇の特殊部落で、お前はつひぞ劣等感を感じなかつた」と記述。しかし糾弾には至らなかった。
*1981年、[[中野孝次]]が『[[文藝]]』1981年4月号における対談で「闇を意識しないで、明るみの中だけで書いていると、言葉はどうしても特殊部落的な言葉になっちゃうでしょ、インテリ語というか」と発言。[[絓秀実]]はこの発言を自己批判するよう促したが、中野はこれを拒否。その後、部落解放同盟と友好関係にある[[野間宏]]が中野孝次と部落解放同盟の間に入り、中野を糾弾しないよう話をつけた、という<ref>呉智英『危険な思想家』p.58。{{Full citation needed |title=単行本と文庫版の2つがありますが、どちらのこのページを指しているのか不明です。 |date=2019-06-18}}</ref>。
▲*政界においては[[野中広務]]が被差別部落の出身として有名であるが、出身に起因する差別や妬みなどがあったと言われている。野中が出馬するという説があった[[2001年自由民主党総裁選挙|2001年の総裁選]]では、部落出身であるから[[内閣総理大臣]]にはなれないという話も出てきていた(結局野中が所属する[[平成研究会]]は[[橋本龍太郎]]を擁立した)。こうした中、野中は同党の[[麻生太郎]]が差別発言を行ったとして名指しで非難し(野中の著書によれば、新聞記者からの情報があったとされている)、麻生が否定するという一幕もあった<ref>[[魚住昭]] 『[[野中広務 差別と権力]]』 [[講談社]] 2004年 ISBN 4062753901 384から386頁、391から393頁{{Full citation needed |title=このISBN(4062753901)は文庫版のものですが、2004年という刊行年は文庫版ではないバージョンのものです(文庫版の刊行は2006年からです)。出典として使用したものが文庫版なのかそうでないのかが不明確です。 |date=2019-06-17}}</ref><ref>{{Cite book |和書 |author=[[角岡伸彦]] |title=はじめての部落問題 |publisher= [[文藝春秋]] |series=文春新書 |date=2005 |isbn=4166604783 |page=104}}</ref><ref>{{国会会議録検索システム|116204601X00320050222|第162回国会衆議院総務委員会第3号 平成17年2月22日}}</ref>。
*2010年、[[森功]]は[[講談社]]発行『[[G2 (雑誌)|g2]]』12月号の「同和と橋下徹」で橋下徹が同和地区出身であることに言及。一連の橋下同和報道の嚆矢であり、具体的な同和地区名も挙げていたが、部落解放同盟は糾弾しなかった。
==メディアタブーと解放同盟==
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