「中国の数学」の版間の差分
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==教育における数学==
中国における数学学習に使用された書籍への最初の言及は西暦2世紀に遡る(『[[後漢書]]』24、862; 35,1207)。[[馬融]]
『算数書』の発見
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『数』と『算術』の発見
2007年、岳麓書院は盗掘された竹簡を購入した。「岳麓書院蔵秦簡総述」によれば、岳麓書院蔵秦簡総述は、その出土場所は不明だが、中国大陸の某地点で盗掘された竹簡が香港の骨董市場に流出し、2007年12月に岳麓書院により緊急に購入収蔵がおこなわれたものである。その時の簡の総数は2098枚であり、その中で比較的に完全な簡は1300余枚であった。その後2008年8月に香港の一収蔵家が幾つかの簡(総数は76枚、比較的完全な簡は30余枚)を岳麓書院に寄贈した。これは、先に購入していた簡と同一の地点の盗掘品と判断され、両者を合わせて岳麓書院所蔵秦簡とされた。簡の大部分は竹簡だが、少量の木簡も含まれたいた。岳麓書院での整理責任者は、岳麓書院副院長である陳松長教授である<ref>中国古算書研究会 田村誠・張替俊夫「新たに出現した二つの古算書---『数』と『算術』p52</ref>。現在簡牘(かんとく)類は整理中であるが、簡の主要な内容は大きく分けて、次の6つに分かれる。すなわち、『日誌』『官箴(かんしん)』『夢書』『数』『奏讞書』『律令雑抄』である。この中の『日誌』中の暦譜に秦の始皇帝二十七年・三十四年・三十五年という記述が見られる。つまり『数』の成書年代の下限は始皇帝三十五年(紀元前212年)となる(ちなみに『算数書』を含む長家山漢簡では、同時に発掘された暦譜中の記述の最も晩い一年が前漢の呂后二年(紀元前186年)であり、我々も『算数書』の成書年代の下限を呂后期と考えている)。これからこれらの簡の書写年代は秦代であると考えられている。『数』はその内容が算数に関連している簡である。その0956簡の背面に書名と考えられる「數」の字が書かれているので『数』と呼ばれることになった<ref>中国古算書研究会 田村誠・張替俊夫「新たに出現した二つの古算書---『数』と『算術』」p52</ref>。
『算術』の発見
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