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{{Portal|舞台芸術}}
'''ロイヤル・バレエ学校'''(ロイヤル・バレエがっこう、{{lang-en-short|The Royal Ballet School}})は、[[イギリス|英国]]にある[[バレエ|クラシック・バレエ]]の訓練校<ref>{{cite news|url=http://news.bbc.co.uk/2/hi/uk_news/northern_ireland/6336595.stm|author=Taggart, Maggie|title=Ballet star dances his way back home|publisher=[[BBC News]]|date=6 February 2007|access-date=6 May 2018}}</ref><ref>{{cite news|author=Thomas, Liz|url=http://www.thestage.co.uk/news/newsstory.php/13735/royal-ballet-to-welcome-in-bbc-cameras|title=Royal Ballet to welcome in BBC cameras|work=The Stage|date=15 August 2006|access-date=4 March 2009|archive-url=https://web.archive.org/web/20110612042818/http://www.thestage.co.uk/news/newsstory.php/13735/royal-ballet-to-welcome-in-bbc-cameras|archive-date=12 June 2011}}</ref>で、1926年にアイルランド出身のバレエダンサー・振付家[[ニネット・ド・ヴァロア]]により設立された。[[ロイヤル・バレエ団]]および[[バーミンガム・ロイヤル・バレエ団]]のために優れたバレエダンサーを養成することを目的としている。
入学に際しては、学力や個人の出自などとは関係なく、純粋にダンスの才能と将来性に基づいて選考され、現在の在校生の90%はスカラシップなどの経済的な支援を頼りに在学している<ref>{{cite web|url=https://www.royalballetschool.org.uk/information/fees/|title=Fees|access-date=6 May 2018}}</ref>。キャンパスは11歳から16歳までが学ぶ[[#ロウアー・スクール|ロウアー・スクール]]と16歳から19歳が学ぶ[[#アッパー・スクール|アッパー・スクール]]に分かれており、アッパー・スクールはフローラル・ストリートを挟んで[[ロイヤル・オペラ・ハウス]]と隣接している。
ロイヤル・バレエ学校は、[[マーゴ・フォンテイン]]やベリル・グレイ、[[ケネス・マクミラン]]、[[ダーシー・バッセル]]、[[アレッサンドラ・フェリ]]、[[ヴィヴィアナ・デュランテ]]、セルゲイ・ポルーニンなどの世界的に有名なダンサーや振付家を排出しており、現在ロイヤル・バレエ団の芸術監督を務めるケヴィン・オヘアも本校の出身である。卒業生の中には、[[ミュージカル]]、[[コンテンポラリー・ダンス]]、[[ジャズダンス]]、テレビ、映画などで活躍する者もいる。
== 歴史 ==
1926年、アイルランド生まれで[[バレエ・リュス]]で活躍したダンサーでもあった[[ニネット・ド・ヴァロア]]が女子向けのダンススクールとして Academy of Choreographic Art を設立し、これが今日のロイヤル・バレエ学校の前身となった。ド・ヴァロアの目標は、レパートリーバレエ団と学校を作ることであった。その結果、劇場オーナーでプロデューサーの{{仮リンク|リリアン・ベイリス|en|Lilian Baylis}}と協力してゆくことになった。ベイリスは[[オールド・ヴィック・シアター]]を所有しており、それに加えて1925年に[[サドラーズ・ウェルズ劇場]]を手に入れた(ただし、サドラーズ・ウェルズ劇場は1915年に閉鎖されており、この時点では公演できる状態ではなかった)。
1928年、ベイリスはド・ヴァロ
サドラーズ・ウェルズ・バレエ団は1946年に[[コヴェント・ガーデン]]で改装・再建された[[ロイヤル・オペラ・ハウス]]付きのバレエ団として招聘され、1947年にはバレエ学校もバロンズ・コートに移転して、生徒への学科教育も導入された。このとき、引き続きサドラーズ・ウェルズ劇場に残って公演を行う姉妹バレエ団としてサドラーズ・ウェルズ劇場バレエ団が作られた。
バレエ学校は急速な発展を遂げ、1955年にロンドン郊外の[[リッチモンド公園]]にある{{仮リンク|ホワイト・ロッジ|en|White Lodge, Richmond Park}}の敷地に「ロウアー・スクール」を開設した。また、バロンズ・コートの校舎は「アッパー・スクール」となった。ロウアー・スクールは全寮制の[[ボーディングスクール]]で、11歳から16歳の生徒に職業ダンサーになるためのバレエ教育と義務教育を提供している。アッパー・スクールは16歳から19歳の学生に全日制課程でバレエ教育を行っている。
1956年にはバレエ団とバレエ学校にロイヤルの名を冠する勅許が与えられ、バレエ団はロイヤル・バレエ団、バレエ学校はロイヤル・バレエ学校に改称された。サドラーズ・ウェルズ劇場バレエ団も、サドラーズ・ウェルズ・ロイヤル・バレエ団となった。ド・ヴァロアは1970年に芸術監督を退任した。
1990年にはサドラーズ・ウェルズ・ロイヤル・バレエ団がバーミンガム・ヒポドロームに移転して[[バーミンガム・ロイヤル・バレエ団]]に改称した。2002年にはバーミンガム・ロイヤル・バレエ団付属のバレエ学校としてエルムハースト・バレエ・スクールが開校した。
2003年1月にはアッパー・スクールがロイヤル・オペラ・ハウスにほど近いフローラル・ストリートに移転した。アッパー・スクールと、ロイヤル・オペラ・ハウスおよびロイヤル・オペラ・ハウス内にあるロイヤル・バレエ団のスタジオの間には ''Bridge of Aspiration'' と名付けられた渡り通路が設けられているが、この渡り通路のデザイナーは2004年の建築賞を受賞している<ref>{{cite news|url=https://www.independent.co.uk/news/uk/this-britain/the-worldfamous-architect-the-cancer-victim-and-the-dream-that-turned-into-a-glittering-prize-731786.html|title=The world-famous architect, the cancer victim and the dream that turned into a glittering prize|work=[[The Independent]]|date=10 June 2004|access-date=6 May 2018}}</ref>。
==ロウアー・スクール==
1955年、バレエ学校の規模拡大により、年少の生徒を[[リッチモンド (ロンドン)|リッチモンド]]の{{仮リンク|ホワイト・ロッジ|en|White Lodge, Richmond Park}}に移すことになった。ホワイト・ロッジは元は[[ジョージ2世 (イギリス王)|ジョージ2世]]の狩猟用別邸として建てられた[[イギリス王室]]所有の邸宅であったが、バレエ学校の校舎として恒久的に使用することが許されて、バレエスタジオや教育施設、学生寮などを設ける大規模な再開発が行われた。
ここでは11歳から16歳までの生徒が学んでいるが、選抜制でありオーディションで合格しなければ入学することはできない。毎年2万件以上の入学申込があり、イギリス国内の主要な都市でオーディションを開催している。ロイヤル・バレエ学校は国際的にも高い評価を得ており、他国からの留学生も受け入れている。 [[ボーディングスクール]]であり、学生の大多数は敷地内の学生寮に入っているが、少数ながら通学生も存在する。
ダンス教育としては、クラシック・バレエだけでなくキャラクター・ダンスや[[コンテンポラリー・ダンス]]、体操、[[アイリッシュ・ダンス]]、モリス・ダンス、スコティッシュ・カントリー・ダンスが教授される。課程の後半では、バレエのレパートリー、ソロおよび[[パ・ド・ドゥ]]を学び、男子は上半身のコンディショニングにも取り組む。11歳から16歳はイギリスの教育制度における[[イギリスの教育#キーステージ|キーステージ]]3および4にあたり、キーステージ4までが[[義務教育]]なので、ダンス教育だけでなく日本でいう中学校に相当するレベル([[中等教育|前期中等教育]])の科目教育も行っており、最終学年ではすべての生徒が義務教育修了証明書を得るための全国統一試験(GCSE)を受験する。
==アッパー・スクール==
[[File:Skybridge1.jpg|thumb|250px|アッパー・スクールと[[ロイヤル・オペラ・ハウス]]を結ぶ ''Bridge of Aspiration''。フリント&ニールとビューロ・ハッポルドおよびウィルキンソン・エア・アーキテクツによる設計。]]
1955年に年少の生徒をホワイト・ロッジに移したことに伴って、バロンズ・コートの校舎がアッパー・スクールとなった。このとき初めて科目教育が導入された。アッパー・スクールは2003年1月に[[コヴェント・ガーデン]]に移転し、現在はバロンズ・コートの校舎にはロンドン・アカデミー・オブ・ミュージック・アンド・ドラマティック・アートが入っている。
コヴェント・ガーデンに新しく建てられた校舎は、200人の観客を収容できる座席格納式のスタジオシアターなど6つのダンススタジオを備えた4階建ての建物である。男子・女子更衣室とシャワールーム、ジムおよびフィットネスルーム、ピラティススタジオ、理学療法室、学生用談話室の他、教育設備として教室が4室、コンピュータを備えた図書室、アート・スタジオ、視聴覚室が設けられている。すべてのダンススタジオは視聴覚室とリンクされているので、スタジオで撮影したクラスやリハーサルの様子を視聴覚室で確認し、自分自身のダンスを分析する、といったこともできる。
学生は、バレエを集中して学ぶだけでなく、レパートリーやソロ、パ・ド・ドゥ、キャラクター・ダンス、コンテンポラリー・ダンスの他、演出技法やメイクアップ、身体のコンディショニング法も習得する。3年次には、年間を通じてロイヤル・バレエ団およびバーミンガム・ロイヤル・バレエ団でプロダンサーに交じってトレーニングする機会が多く設けられている。
[[Image:Royal Ballet School curtain call.jpg|thumb|250px|ロイヤル・バレエ学校のカーテンコール。2007年]]
==学校公演==
ロイヤル・バレエ学校では、毎学年末に全学年の生徒がクラシックまたはコンテンポラリーの作品に出演する夏季公演を開催している。そのハイライトは、毎年恒例のロイヤル・オペラ・ハウスでのマチネ(昼公演)であり、在校生のみならず今まさに卒業してプロとして第一歩を踏み出そうとする生徒をお披露目する場となっている。プログラムにはロイヤル・バレエ団のレパートリーからの新作や過去の作品が含まれ、カーテンコールで全生徒が振り付けされて舞台に上がるグラン・デフィレが最大の見せ場である。
==プリマ・バレリーナ・アッソルータ==
ロイヤル・バレエ学校は、バレリーナの中でも最高位に位置付けられ、ごくわずかな人数しかいない[[プリマ・バレリーナ・アッソルータ]]を4人輩出している。ロイヤル・バレエ学校で学び、プロとしてのキャリア全体をロイヤル・バレエ団で過ごした[[マーゴ・フォンテイン]]は、1979年に[[エリザベス2世]]からロイヤル・バレエ団のプリマ・バレリーナ・アッソルータに任じられた。1959年から1966年までロイヤル・バレエ学校で学んだ[[エヴァ・エフドキモワ]]は、世界を股にかけるゲスト・バレリーナとして活躍し、1979年に[[マリインスキー・バレエ|キーロフ・バレエ団]]に客演した後、プリマ・バレリーナ・アッソルータの称号を授与された。これは後にドイツ[[連邦参議院]]により公式に承認された。1959年にロイヤル・バレエ学校に入学した{{仮リンク|フィリス・スパイラ|en|Phyllis Spira}}は、優れた才能が認められて1960年に若干17歳でロイヤル・バレエ団ツーリング・カンパニー(現バーミンガム・ロイヤル・バレエ団)に入団したが、世界ではなく母国 南アフリカの舞台に立つことを選択してほとんどのキャリアを南アフリカのCAPABバレエ団(現ケープタウン・シティ・バレエ団)で過ごし、1984年に[[南アフリカの大統領|同国大統領]]からプリマ・バレリーナ・アッソルータに任じられた。最近では、ロイヤル・バレエ学校の卒業生[[アレッサンドラ・フェリ]]が1992年に[[スカラ座バレエ団]]のプリマ・バレリーナ・アッソルータに任じられている<ref>{{cite web|url=http://www.teatroallascala.org/en/teatropiermarini/complessi_artistici/corpo_di_ballo/corpo_di_ballo_page_3.html|title=Archived copy|access-date=10 July 2010|url-status = dead|archive-url=https://web.archive.org/web/20100710073521/http://www.teatroallascala.org/en/teatropiermarini/complessi_artistici/corpo_di_ballo/corpo_di_ballo_page_3.html|archive-date=10 July 2010}} Citing Alessandra Ferri as ''prima ballerina assoluta'' of La Scala</ref>。ロイヤル・バレエ団の前身であるヴィック・ウェルズ・バレエ団で初代プリマ・バレリーナを務めた[[アリシア・マルコワ]]は、ロイヤル・バレエ学校で直接学んではいないものの、ロイヤル・バレエ学校を設立したニネット・ド・ヴァロアに師事していたため、これを数に含めるとすれば5人となる。
== 卒業生 ==
;特筆すべき卒業生
{{columns-list|colwidth=18em|
<!--*[[Helen Anker]]
*[[Gary Avis]]
*[[Elisa Badenes]]
*[[Matthew Ball (dancer)|Matthew Ball]]
*[[Hetty Baynes]]
*[[Leanne Benjamin]]-->
*[[デヴィッド・ビントレー]], [[大英帝国勲章|CBE]]
<!--*[[Deborah Bull]], [[大英帝国勲章|CBE]]-->
*[[ダーシー・バッセル]], [[大英帝国勲章|DBE]]
<!--*[[Dusty Button]]
*[[Joseph Caley]]
*[[Chris Channing]]
*[[Flora Cheong-Leen]]
*[[Michael Clark (dancer)|Michael Clark]]
*[[Simone Clarke]]-->
*[[アリーナ・コジョカル]]
*[[レスリー・コリア]], [[大英帝国勲章|CBE]]
*[[アダム・クーパー]]
<!--*[[Lauren Cuthbertson]]
*[[David Dawson (choreographer)|David Dawson]]
*[[Daniel DeBourg]]
*[[Anthony Dowell|Sir Anthony Dowell]], [[大英帝国勲章|CBE]]
*[[Samara Downs]]<ref>[https://www.brb.org.uk/profile/samara-downs Samara Downs] Retrieved 6 May 2018.</ref>-->
*[[ヴィヴィアナ・デュランテ]]
<!--*[[Wayne Eagling]]-->
*[[ジェニファー・エリソン]]
*[[エヴァ・エフドキモワ]]
*[[アレッサンドラ・フェリ]]
<!--*[[John Field (dancer)|John Field]]
*[[Elaine Fifield]]-->
*[[マーゴ・フォンテイン]], [[大英帝国勲章|DBE]]
<!--*[[Clare Francis]], [[大英帝国勲章|MBE]]-->
*[[クリストファー・ゲイブル]]
<!--*[[Beryl Goldwyn]]
*[[Mary Goodhew]]
*[[Christopher Hampson]]
*[[Francesca Hayward]]-->
*[[平田桃子]]
<!--*[[Vanessa Hooper]]
*[[Stephen Jefferies (dancer)|Stephen Jefferies]]
*[[Lesley Judd]]-->
*[[イジー・キリアーン]]
*[[ダイアン・クルーガー]]
<!--*[[Rosalyn Landor]]
*[[Douglas Lee (choreographer)|Douglas Lee]]-->
*[[ケネス・マクミラン]]
<!--*[[Sandra Madgwick]]
*[[Debbie McGee]]
*[[Steven McRae]]
*[[Monica Mason|Dame Monica Mason]], [[大英帝国勲章|DBE]]
*[[Yasmine Naghdi]]
*[[Ayako Nakano (dancer)|Ayako Nakano]]-->
*[[ジョン・ノイマイヤー]]
<!--*[[Marcelino Sambé]]
*[[Marianela Núñez]]
*[[Kevin O'Hare]]
*[[Annette Page]]<ref>Dean Speer & Francis Timlin, ''[http://www.ballet-dance.com/200504/articles/HyndPage20050307.htm A Very Merry Couple Ronald Hynd and Annette Page talk about dancing, PNB and Merry Widow]'' from ''Ballet-Dance magazine'' dated April 2005 online at ballet-dance.com, accessed 28 April 2012.</ref>
*[[Merle Park|Dame Merle Park]], [[大英帝国勲章|DBE]]
*[[John Partridge (performer)|John Partridge]]
*[[Sergei Polunin]]
*[[Ivan Putrov]]
*[[Samantha Raine]]
*[[Gillian Revie]]
*[[Louise Robey]]
*[[Peter Royston (choreographer)|Peter Royston]]
*[[Emma Samms]]
*[[Tom Sapsford]]-->
*[[リン・シーモア]]
<!--*[[Jeremy Sheffield]]
*[[Antoinette Sibley|Dame Antoinette Sibley]], [[大英帝国勲章|DBE]]
*[[Wayne Sleep]], [[大英帝国勲章|OBE]]
*[[Phyllis Spira]]
*[[David Wall (dancer)|David Wall]], [[[大英帝国勲章|CBE]]
*[[Edward Watson (dancer)|Edward Watson]], [[大英帝国勲章|MBE]]
*[[Sarah Wildor]]
*[[Christopher Wheeldon]]-->
*[[ピーター・ライト (振付家)|ピーター・ライト]], [[大英帝国勲章|CBE]]
*[[吉田都]], [[大英帝国勲章|OBE]]
<!--*[[Wong Li-Lin|Wong Li Lin]]
*[[Wang Ji-won]]-->
}}
== 外部リンク ==
* {{official|http://www.royal-ballet-school.org.uk}}{{en icon}}
{{Normdaten}}
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