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文化財用語
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{{Double image stack|right|Niutsuhimejinja 05.JPG|Niutsuhime-jinja honden.jpg|220|{{Center|本殿(国の重要文化財)}}{{Small|上画像:楼門内より最奥に望む。右から第一殿・第二殿・第三殿。<br />下画像:右から第三殿と第四殿。左端は摂社の若宮。}}}}
[[File:Niutsuhime-jinja roumon.JPG|thumb|200px|right|{{center|楼門(国の重要文化財)}}]]
丹生都比売神社は高野山との関係が深く、古くは多宝塔・御影堂・不動堂・山王堂・護摩所・鐘楼・経蔵・坊舎等の仏教建物が営まれていたことが古絵図によって知られる。神仏分離によってこれらは除かれたが、[[神仏習合]]時代の遺構が良好に残されていることから、境内は国の[[史跡]]に指定されている<ref name="Keidai"/>。境内背後の尾根上には高野山への表参道である[[高野山町石道]](国の史跡、[[世界遺産]])が通り、丹生都比売神社への枝道(八丁坂)への分岐点には通称「二つ鳥居」と呼ばれる鳥居2基が並ぶ({{ウィキ座標|34|15|31.42|N|135|31|38.61|E|region:JP-30_type:landmark|位置|name=二つ鳥居}})。高野山参拝前にはここから丹生都比売神社に参拝する習わしであったという。『紀伊続風土記』によれば、この鳥居は[[弘仁]]10年([[819年]])5月3日に[[空海]]によって建立されたといい、当初は木造であったが[[慶安]]2年([[1649年]])5月に石造で建て直されたという<ref>現地説明板。</ref>。この2基は丹生都比売神と高野御子神の鳥居を表すとされる。いずれも国の史跡「高野山町石道」の一部として国の史跡に指定されている。
 
*本殿 4棟 - 本殿は第一殿から第四殿の4棟からなる。楼門奥の最上段に向かって右手から第一殿・第二殿の順で一列に並び、第四殿のさらに左手には若宮が鎮座する。これら各棟には祭神が1柱ずつ祀られている。いずれも同形式・同規模の一間社[[春日造]]の[[檜皮葺]]である。各殿内とも[[鎌倉時代]]の一間春日見世棚造の宮殿(くうでん)を納めている。宮殿には[[嘉元]]4年([[1306年]])の銘があり、本殿前身の社殿と見られる。これら四殿4棟、附指定の宮殿を加えて「丹生都比売神社本殿」として国の重要文化財に指定され、宮殿4基は重要文化財の附(つけたり)指定となっている<ref name="Honden"/><ref>{{Cite web|url=http://www.pref.wakayama.lg.jp/prefg/000200/photomuseum/025.html|title=丹生都比売神社本殿|works=和歌山県フォト博物館|publisher=和歌山県|accessdate=2013-10-12}}</ref><ref name="ガイド"/>。
**第一殿(重要文化財) - [[江戸時代]]の[[正徳 (日本)|正徳]]5年([[1715年]])再建。
**第二殿(重要文化財) - [[室町時代]]の[[文明 (日本)|文明]]年間([[1469年]] - [[1486年]])再建。
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* 紙本墨書法華経 8帖、紙本墨書後村上天皇宸翰寄進状 1巻(書跡・典籍) - 平安時代・南北朝時代。[[1926年]]([[大正]]15年)4月19日指定<ref>{{国指定文化財等データベース|201|8116|法華経 八帖}}</ref><ref>{{国指定文化財等データベース|201|00011165|後村上天皇宸翰寄進状 一巻}}</ref>。
 
=== 国指定史跡 ===
* 丹生都比売神社境内 - [[2002年]]([[平成]]14年)12月19日指定<ref name="Keidai"/>。