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46行目:
「諸行は[[無常]]であってこれは生滅の法であり、生滅の法は苦である。」この半偈は流転門。
 
「この生と滅とを滅しおわって、生なく滅なきを寂滅とす。寂滅は即ち涅槃、是れ楽なり。」「為楽」というのは、涅槃楽を受けるというのではない。有為の[[苦_(仏教)|苦]]に対して寂滅を[[楽 (仏教)|楽]]といっているだけである。後半偈は還滅門。
「この生と滅合わせ
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
とを滅しおわって、生なく滅なきを寂滅とす。寂滅は即ち涅槃、是れ楽なり。」「為楽」というのは、涅槃楽を受けるというのではない。有為の[[苦_(仏教)|苦]]に対して寂滅を[[楽 (仏教)|楽]]といっているだけである。後半偈は還滅門。
[[ファイル:Hange Shashin-zu by Kubota Beisen.jpg|thumb|200px|[[久保田米僊]]筆「半偈捨身図」。ヒマラヤで修行していた雪山童子は「諸行無常」の半偈(前半部)を[[羅刹]]から聞いた。童子は半偈の続きを羅刹に求めたが、生きた人肉を食す羅刹は空腹のため、続きを説くことはできないと答えた。童子は残りの半偈を聞くため自身を捨て、あなたに捧げると答えた。羅刹は後半部の半偈を童子に教え、童子は羅刹の口元に飛び込んだ。ところが羅刹は童子を食べずに[[帝釈天]]へと変わり、[[煩悩]]を一切持たない童子が将来に無上菩提となることを喜んだ<ref>{{Cite journal|和書|author =岡本英夫|date =2001-4|title =雪山童子の求道|journal =まなざし|issue =26|pages =1-17|publisher =沖縄聞法通信|url =https://web.archive.org/web/20150217060819/http://homepage3.nifty.com/Tannisho/manazasi_pdf/Sessendouji_Kyuudou.pdf|format =PDF|accessdate =2016-1-29}}</ref>。]]
:生滅の法は[[ドゥッカ|苦]]であるとされているが、生滅するから苦なのではない。生滅する存在であるにもかかわらず、それを常住なものであると観る(妄想を抱く)から苦が生じるのである([[無明]])。この点を忘れてはならないとするのが仏教の基本的立場である。