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{{単一の出典|date=2021年7月}}
{{Infobox 作家
| name = ロバート・ブロック<br/>''Robert Bloch''
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10歳の頃に初めて読んだというパルプ雑誌『[[ウィアード・テイルズ]]』の熱烈なファンで、同誌に掲載された[[ハワード・フィリップス・ラヴクラフト]]の作品に感銘を受ける。初めて読んだラヴクラフトの作品は、『[[ピックマンのモデル]]』だったとしている。1933年頃にラヴクラフトにファンレターを送り、彼から小説を執筆することを薦められ[[1935年]]、同誌に "The Feast in the Abbey" を発表し17歳にしてデビューする。またラヴクラフトの作家仲間、ラヴクラフトのスクールの一員となった。
27歳年上の[[ハワード・フィリップス・ラヴクラフト]]との親交は厚く、お互いの作品(『妖蛆の秘密』および『[[闇の跳梁者|闇をさまようもの]]』)のなかでお互いをモデルにした登場人物を殺しあうほど仲が良かった<ref name="FamitsuApp20180412">{{Cite web|title=ゼロから始める“クトゥルフ神話” 第3回:作家たちの饗宴 [ファミ通App]|url=https://app.famitsu.com/20180412_1247166/|website=ファミ通App|accessdate=2021-07-18|date=2018-04-12|author=朱鷺田祐介}}</ref>。クトゥルフ神話の魔導書『[[妖蛆の秘密]]』と『屍食教典儀』の創造者である。1937年にラヴクラフトが死去すると20代だったロバートは、大きなショックを受けたらしく「私の一部が彼と共に死んだ。だが現実からは何も失われていない。世間は、彼を無視し彼の作品の多くがコレクションされていない。プロヴィデンスは、何も失っていないように思える。("Part of me died with him, I guess, not only because he was not a god, he was mortal, that is true, but because he had so little recognition in his own lifetime. There were no novels or collections published, no great realization, even here in Providence, of what was lost.")」と述べ、ラヴクラフトの死を悲しんでいるのが自分たち、彼の崇拝者だけに留まっていることを複雑に感じていた。
ラヴクラフトの死後、ロバートは、ウィアード・テイルズからSF雑誌『アメージング・ストーリーズ』にも作品を提出するようになり1938年8月、小説『天文台の秘密(The Secret of the Observatory)』が初めて掲載された。
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* ザ・スカーフ ''The Scarf'' 1947
* 殺意の記憶 ''(The Will to Kill)'' 1954
* [[サイコ (小説)|サイコ]] ''(Psycho)'' 1959
* ろくでなし ''(The Dead Beat)'' 1960
* トッド調書 ''(The Todd Dosier)'' 1969
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* [[サイコ2]] ([[1983年]]、アメリカ) - 監督:リチャード・フランクリン
* [[トワイライトゾーン/超次元の体験]] (1983年、アメリカ) - 監督:[[スティーヴン・スピルバーグ]]ほか
== 脚注 ==
{{Reflist}}
== 外部リンク ==
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[[Category:1994年没]]
[[Category:サイコ (映画)|+ふろつく]]
[[Category:クトゥルフ神話作家]]
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