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* [[1879年]](明治12年)12月2日 - 「太政官布告第130号」により、[[歩兵連隊]]・[[騎兵連隊]]・[[砲兵|砲兵連隊]]の「'''軍旗'''」が定められる。
** この[[歩兵]]連隊軍旗は縦2尺6寸4分(約0.8m)で横3尺(約0.91m)、[[騎兵]]・[[砲兵]]連隊軍旗は縦横2尺1寸(約0.64m)で、旗の四方は[[金色|金]][[金銀糸|モール]]([[黄色|黄]]線)で縁取られた[[紫色|紫]]房の十六条旭日旗である。また、旗面の竿側下角部には連隊名を記入する白抜きの部分があり、付属となる旗竿(きかん)は[[樫]]の4段巻き[[黒色|黒]][[漆]]仕上げ、竿頭(かんとう)には金色金属製の[[菊花紋章]]が付される。
** なお、騎兵・砲兵連隊は「軍旗」制定時にはまだ大隊であり[[編成 (軍事)|編成]]されていなかったため、授与されていない(当時はまだ大隊[[編制]])。
* [[1885年]](明治18年)1月10日 - 太政官布告により砲兵連隊軍旗が廃止される一方、後備歩兵連隊軍旗も制定される。
** 後備歩兵連隊軍旗は[[赤色|赤]]房である以外は常備歩兵連隊軍旗と変らない。
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中でも、神風連の乱にて旧・[[熊本藩]]反乱士族の攻撃を受けた[[歩兵第13連隊]]では、[[佐竹広明]]陸軍中尉が陸軍御国旗を体に巻きつけ死守したため旗が[[血]]に染まり、また、日露戦争の[[沙河会戦]]・三塊石山の夜襲[[白兵戦]]において、[[歩兵第39連隊]]の軍旗は鮮血を受けたため、これらは「''血染めの軍旗''(血染めの連隊旗)」と謳われよりいっそう尊崇された。
なお、[[軍縮]]([[宇垣軍縮]])などにより連隊が廃止される際は軍旗は奉還(返納)される。これは[[編制]]の改編でも同様であり、[[1940年]](昭和15年)頃末から順次実施された一部の既存騎兵連隊の[[捜索連隊]]([[機動]][[斥候|戦闘斥候]]部隊)への改組では、(捜索連隊の)
戦時の報道写真においては、[[防諜]]上の理由から画面に写った軍旗は[[検閲]]の対象に含まれた。また、軍旗は戦闘において連隊が壊滅間際・[[玉砕]]直前(連隊の最期)になった際は連隊長や旗手の手により奉焼(丁重に焼く)された([[#軍旗の奉焼等]])。第二次大戦終戦時には各連隊に対し陸軍大臣より奉焼命令が出され、軍旗奉焼式を経てごく一部を除き全てが焼失し、灰や燃え残った旗・竿頭破片も土中に埋没ないし河川に流され処理された。これは天皇の分身である軍旗を敵の手に渡すことを避けたためである。一方で、極少数であるが現存する軍旗や小片が存在している([[#現存する軍旗]])
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