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; [[日野勝光]](ひの かつみつ)
: 公家・日野家の当主で、幕府将軍・[[足利義政]]の正室である[[日野富子]]の兄。朝廷では内大臣を務め、公家なので幕府での公式な役目は無いが、将軍正室の兄という立場を活かして義政の側近に収まっている。
: [[日野家]]は[[藤原北家]]の分家だが、鎌倉時代中期まで中納言止まりの家で、同じ藤原北家でも[[五摂家]]の[[近衛家]]や[[九条家]]などより低い家柄だったが、院や天皇家、室町幕府の足利家に接近し家格を上げた。日野家の家紋は現代の[[日本航空]]の社章に似た鶴丸(つるのまる)で、第3集第13話では日野家の鶴の紋に「OJAL(おじゃる)」と、「JAL」と公家言葉を合わせた作者のギャグが描かれている。
: 文明3年(1471年)、新九郎の義母・須磨が亡くなった京での疱瘡やはしかの流行の際には、日野勝光も嫡子を亡くした。
: 文明5年(1473年)年末から翌文明6年(1474年)年始にかけ、足利義政の将軍退任と嫡子・[[足利義尚]]の新将軍就任の儀式が行われた際、細川勝元退任以降空位となっていた幕府[[管領]]職に[[畠山政長]]が就任(再任)するが、儀式が終了すると政長は[[畠山義就]]との家督争いのためとして管領を辞任、管領職は再び空位となった。ここで将軍縁戚の日野勝光(前将軍・義政の義兄、現将軍・義尚の伯父)は幕府を支えるため、管領の職位には就かずに実質的に管領の職務を代行した{{Efn|幕府管領職に就任出来るのは足利一門の三家、[[細川氏|細川家]]、[[斯波氏|斯波家]]、[[畠山氏|畠山家]]の当主のみだが、[[細川勝元]]死去後の細川家は当主がまだ9歳の[[細川政元|細川聡明丸]]で将軍の補佐には役不足、斯波家と畠山家は応仁の乱の原因ともなった両家の家督争いが続いており、三家はいずれも管領の職務を出来る状況ではなく、それもあって[[日野勝光]]は管領職には就かずに職務を代行した。幕府[[政所#室町時代の政所|政所]]執事の[[伊勢貞宗]]も新将軍・[[足利義尚]]の傅役であり立場的には日野勝光に近かったが、余計な権力争いに関与した父・[[伊勢貞親]]の二の舞になるのを避けたいとのことで管領の役割に関与することはなく、日野勝光による管領職務の補佐に留まった。}}。その結果、御所(将軍)義尚や大御所(前将軍)義政への上奏は日野勝光を通すことが必要となり、新九郎が関与する今川家の家督争いでも、龍王丸派と小鹿派の双方が日野勝光に賄賂を送り将軍から自派に有利な相続命令を得ようとした。
: しかし文明8年(1476年)6月、3月から体調を崩していた日野勝光は病で死去。これにより今川家家督争いでの龍王丸派、小鹿派それぞれの思惑と工作も水泡に帰すこととなった。
 
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: 物語冒頭で新九郎が出会った風来坊。第1集第1話での千代丸(新九郎)との出会いでは、千代丸が敬愛する父・盛定の悪口を散々放言し、激怒した千代丸に斬りかかられ斜面を滑落するが、斜面下の草むらから狐が飛び出てきたため、千代丸と大道寺右馬介は狐に化かされたと考え以降狐と呼ぶようになった。また[[骨皮道賢]]が布陣した[[伏見稲荷大社|伏見稲荷社]]を山名の軍勢に破壊されたことで住処を失ったとほのめかしたことから伏見稲荷社の[[神位]]である正一位とも呼ばれる。新九郎が備中下向前に再会した際には鎧師をしており、鎧(八郎の形見)の仕立直しを引き受けるが、仕立直しの腕は良いものの六貫文とかなりの高額を請求し、所領東荏原の収入が目減りしていた新九郎には痛い出費となった。
: 第1集では昼間も登場したが、第4集以降では、本人曰く「朝起きられない」とのことで夜に現れる。夜目が効き普通の人間が行動出来ない夜道でも自由に移動することが出来る。
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: 第1集第1、2話、第4集第18話、第5集第27話、第6集第33話、第7集第38話に登場する。