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[[田道間守|田道間守命]]を主祭神とし<ref name="mainichi-np-2014-4-20" />、[[天湯河板挙命|天湯河棚神(あめのゆかわたなのかみ)]]を配祀する。
 
田道間守命は[[天日槍命]]の5世の子孫で、『[[日本書紀]]』に記される[[垂仁天皇]]の命により[[常世の国]]から「非時香果(ときじくのかぐのみ)」([[タチバナ|橘]]のこと)を持ち返ったとされる人物である<ref>垂仁天皇後紀3月壬午(12日)条([[景行天皇]]2年に相当)。</ref>。橘([[みかん]]等 [[柑橘類]]の原種)は菓子の最上級品とされたことから、[[みかん]]菓子の神・菓祖として、また菓子柑橘神・菓神<ref>{{Cite web|title=余録:「常世の国」は日本の古代人が…|url=https://mainichi.jp/articles/20171227/ddm/001/070/112000c|website=毎日新聞|accessdate=2021-11-25|language=ja}}</ref>として崇敬される。また、現鎮座地に居を構えて当地を開墾し、人々に[[養蚕]]を奨励したと伝えられることから、養蚕の神ともされる。
 
天湯河棚神は中古に[[合祀]]された安美神社の祭神で、[[鳥取氏|鳥取連(ととりのむらじ)]]の[[祖神]]である。『日本書紀』によれば、垂仁天皇の命により[[皇子]][[誉津別命]]の為に鵠(くぐい。[[白鳥]]のこと)を捕えた人物で<ref>垂仁天皇紀23年条。</ref>、一説には、『[[古事記]]』に記される鵠を捕らえた地、和那美之水門(わなみのみなと)の近くに祀られたものであるという<ref>但し、同書に天湯河棚神は登場せず、鵠を捕らえたのは山辺(やまのへ)の大鶙(おおたか)という人物である(垂仁天皇記)。</ref>。