「国分町通」の版間の差分
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現在の国分町通沿いの街の機能は、旧町の区分よりも交差する大通りによって分けられる[[街区]]毎に異なっている。旧町名の「二日町」は北四番丁から表小路までであるが、その南側の大通りである[[定禅寺通]]までのブロックが一体的に二日町だと認識する市民も多く、[[下町]]の雰囲気を見せながらも、[[宮城県庁]]・[[仙台市役所]]と隣接するため、行政サービス関連業種([[公共事業]]や行政の[[アウトソーシング]]に関連した企業)が立地している。定禅寺通から[[広瀬通]]までは、[[歓楽街]]としての「国分町」となっている(→[[国分町 (仙台市)|国分町]])。広瀬通より南は[[オフィス]]街・[[金融]]街としての「国分町」となっており、沿道の[[日本銀行]]仙台支店を中心に[[五橋通]]辺りまで[[ビルディング|ビル]]街が続く。芭蕉の辻から[[南町通]]までは、[[仙台市電]]の芭蕉の辻線が走っていたため、国分町通の中で最も道幅が広い。
なお、[[仙台城]]下の奥州街道本筋は上記の町以外にも南北に続いていた。通町の北側に続く道は青葉神社門前から東に折れ、[[堤町 (仙台市)|堤町]]([[北仙台]]地区)を経て北上した([[宮城県道22号仙台泉線#沿革|参照]])。南町より南側は、城下町らしく折れ曲がりながら南東に進み、[[柳町 (仙台市)|柳町]]・[[北目町]]・[[上染師町]]・[[田町]]・[[荒町 (仙台市)|荒町]]・[[南鍛冶町]]・[[穀町]]・[[南材木町]]・[[河原町 (仙台市)|河原町]]を経て、仙台城下の入口を示す[[丁切根]](ちょうぎんね)という木戸に至る。丁切根の木戸は夜間に閉じて外部からの侵入を防ぐとともに、仙台城下の内外を分けていた。丁切根からは[[広瀬川 (宮城県)|広瀬川]]を永町橋(ながまちばし。現在は[[広瀬橋 (仙台市)|広瀬橋]]が架かる)で渡り、[[長町宿]](現在の[[長町副都心]])へと繋がる。
== 歴史 ==
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