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聖今上 (会話 | 投稿記録)
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弥生中期には、周囲の土を削りだし、山や丘陵、尾根の上に造られた'''方形台状墓'''も現れ、[[中部地方]]・[[関東地方]]へ伝播した。弥生前期の中部・関東では、一度遺体を土壙して骨化させてから小型の甕や壺に埋納する再葬が行われていたが、方形周溝墓が伝わると墓制の主流となった。
 
方形周溝墓は弥生時代より早い時期に朝鮮半島に大量に発見されている。墳丘墓は、水稲耕作など支石墓同じく、中国は見られない墓制で、朝鮮半島南部から伝えられたものと考えられている。これは弥生人中国長江地域ではなく朝鮮半島から移住したことを証明している。<ref>墓制の展開にみる弥生社会 会下和宏著</ref>北部九州では方形周溝墓は極めて少なく近畿地方に発見され始める。その理由は方形周溝墓を作る集団が北部九州に定住した後、短い時間に近畿地方に直ぐ移動したからだと考えられている。福岡県東小田峰遺跡で弥生時代前期初頭の例がある。この方形低墳丘墓は弥生後期に大形化し、[[前方後円墳]]に発展する。
 
=== 大型墳丘墓 ===